冷徹ドクターに捨てられたはずが、赤ちゃんごと溺愛抱擁されています
 母が悠翔を抱き上げる。さっきまで曇っていた顔が笑顔になった。子供の力は本当に偉大だ。

「さて、そろそろ帰らなきゃ。寝るのが遅くなっちゃう」

 時計を見れば十八時半。帰って食事を済ませてお風呂、明日の準備などやることは山積みだ。

 わたしは母から悠翔を受け取ると、荷物を持って玄関で靴を履く。上がり框(がまち)に座る悠翔に靴を履かせようとするとバタバタと足を振って嫌がる。

「ゆうくん、するの」

「ああ、自分でするのね。はい、どうぞ」

 悠翔は最近なんでも自分でやりたがる。できるだけさせるようにしているけれど……まあ、朝なんかは余裕がないからこっちでやったりすることも多い。

 小さな手でマジックテープをはがして、足を入れて留める。真剣な横顔を見ると翔平の面影が見えてわたしは慌てて目を逸らした。

 三年間一度も会っていないのに、まだしっかりと彼の顔を覚えている。時々こういうことがあって少し切なくなる。

「できた!」

 うれしそうな悠翔だったが、マジックテープがきちんと留まっていない。

「できたね! すごい」

 褒めながらわたしがやり直そうとすると「ダメ! 嫌なの!」と断固拒否。脱げるかもしれないけれど、仕方ないのでこのまま自転車に乗せることにした。

「じゃあ、帰るね~ありがとう」

「気を付けて帰りなさい。もう暗くなってるから」

 名残惜しそうに悠翔を見送りに来た父に「大丈夫」と告げて帰ろうとする。

「もう、忘れてるわよ」

「あっ!」

 キッチンから紙袋を持った母が呆れ顔でやってきた。すっかり持って帰ると言っていた天ぷらの存在を忘れていたのだ。

「ごめん、ありがとう」

 紙袋を受け取って玄関を出た。玄関の明かりの下で悠翔にヘルメットをかぶせて自転車の後ろに乗せた。ベルトがしっかりしまっていることを確認して、サドルにまたがる。

「ゴーゴー」

 自転車が大好きな悠翔に早く出発しろと催促され、わたしはゆっくりと漕ぎ出した。下り坂なので少し気を付けながらアパートへの道を進んだ。


 家に帰ってからも戦争だ。母に作ってもらった天ぷらと朝の残りのお味噌汁とごはん。今日は母が一緒に持たせてくれた梨をデザートに食べた。
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