アリサ・リリーベル・シュタルクヘルトは死んだ(修正中)
「すまない。そんな事情があったなんて知らなくて」
「いや。俺も話していなかったからな」
 嫌な空気が二人の間に流れる。そんな中、「俺は」とオルキデアは口を開く。

「お前の結婚を否定するつもりは無い。セシリアもお前と一緒なら幸せになれるだろう。
 だが俺は両親を見ていたからか、どうしても、結婚して幸せになる自分と、俺の隣で共に幸せになる相手が想像出来ないんだ」

 溶けかかった氷しか残っていないグラスから、水滴が流れる。

「結婚すれば、相手を第一に考えなければならない。自分にとって、一番大切な存在となるだろう。
 だが、俺たちが不在の間に、相手に何かあったらどうする? 戦争に巻き込まれたら? 軍部の思惑やクーデターに巻き込まれたらどうする?」
「おい、声が大きい……!」

 この国では過去に何度かクーデターが起こっている。いずれも失敗しているが、国や軍の上層部は、今もクーデターと反国家組織の存在に過敏になっている。
 こんな安酒場にはいないだろうが、万が一がある。
 オルキデアを諫めると「すまない」と返される。

「大切な存在が増えるという事は、自分が守らなければならないもの、攻撃されると自分が弱くなる場所が増えるという事だと、俺は思うよ」

 大切な存在が増えれば、その分だけ自分の弱点が増えてしまう。
 それが壊されてしまえば、自分は弱くなると。
 クシャースラは「そうかもしれんが。お前なあ……」と苦笑する。

「大切な存在が増えた分だけ、自分が弱くなると言いたいのか」
「俺の父上がそうだったからな」

 オルキデアの父親であるエラフは、妻のティシュトリアと息子のオルキデアという弱点を抱えていた。
 ティシュトリアを離縁しなかったエラフは、妻によって内側から攻撃されて、財産を失った。
 更には、妻ごと息子のオルキデアを守ろうとするあまり、身体に無理をして亡くなった。
 二人がいなければ、エラフは財産を失わず、早逝しなかっただろう。

「父上が死んだ原因は、俺にあるのも同然だ」
「それは違う! お前のお父上は過労で……」
「父上は子供が産まれれば、母上が他の男の元に通わなくなると考えたに違いない。
 だが、産まれたのが俺だった。
 俺じゃなければ、母上を屋敷に留めておけただろう。そうすれば、我が家には今も財産があった。父上も身体を壊すまで働かずに済んだだろう。産まれたのが俺じゃなければ……!」

 そうして、オルキデアが呟いた言葉を、クシャースラは今でもはっきりと覚えている。

「俺が産まれなければ、良かった……」

「オルキデア!」
 クシャースラが振り向くと、オルキデアはカウンターに突っ伏して寝息を立てていた。
 クシャースラは大きく息を吐き出すと、親友の身体に自分のコートを掛けてやる。
 親友が寝落ちする姿を初めて見た。
 いつもは先にクシャースラが酔い潰れて、それをオルキデアが介抱する側だった。

「……産まれてこなければ良かったとか言うな。バカ」
 ーーお前がいなかったら、おれは妻だけじゃなくて、かけがえのない親友も手に入れられなかったんだぞ。
 クシャースラはそっと呟くと、二人分の支払いをして席を立ったのだった。

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