アリサ・リリーベル・シュタルクヘルトは死んだ
 それきり黙ってしまったアリーシャを連れて、北扉に向かう。

「そろそろ北扉が見えます。貴女は顔を見られないように、帽子で顔を隠して下さい」

 小声で話すクシャースラの言葉に、アリーシャは帽子を深く被る。
 これなら、覗き込まれない限り、帽子のつばで顔は見えないだろう。
 アリーシャを見下ろすと、すぐに正面を向いて自ら警備の控え室に向かう。

 控え室の前にはクシャースラが軍部に入る時に会った者とは別の兵が立っていた。
 予め、見張りの交代時間を調べておいた。
 さすがに交代時に、誰がどういう格好でここを通ったかまでは引き継いでいないとは思うが、念には念を入れた。
 敬礼をする兵に返礼しながら、クシャースラは話しかける。

「用事は終わった。妻を連れて、今日は帰宅する」
「承知しました。奥様……ですね?」

 兵の視線を感じて、アリーシャは俯く。
 すかさずクシャースラはアリーシャの肩を支えて、兵の視線を遮ってくれたのだった。

「すまない。どうも待たせている間に、妻は体調を崩してしまったようだ。それもあって今日はもう帰宅しようかと」
「そうでしたか。それは失礼しました」
「ああ、ご苦労」

 クシャースラは兵からアリーシャを庇うように肩を支えたまま、空いている方の手で敬礼する。
 兵から見えない場所まで来ると、ようやく息を吐いてアリーシャを離したのだった。

「失礼しました。演技とはいえ、肩に触れてしまって」
「いえ。私の方こそ、ありがとうございます」

 二人は建物から出ると、軍部の駐車場にやってくる。
 クシャースラはとある黒塗りの車に近づくと、運転席側の窓をノックする。
 窓が開くと、運転席にはオルキデアの部下のラカイユの顔が見えたのだった。

「お待ちしておりました。オウェングス少将、アリーシャ嬢」
「ラカイユ。よろしく頼む」

 ラカイユが操作すると、後部座席のドアが開いた。クシャースラは周囲を確認すると、先にアリーシャを乗せる。
 最後に自分が乗ると、ドアを閉めたのだった。
 クシャースラがドアを閉めるとすぐにラカイユは車を走らせる。

 軍部を出たところで、クシャースラは外を見ながら尋ねる。

「見張りは?」
「今のところはいません」

 バックミラーを見ながら、ラカイユは返事をする。

「念の為、予定通り遠回りしてくれ」
「承知しました」

 軍部を出て左折をすると、すぐに信号待ちで止まる。

「あの……。クシャースラ様」

 帽子を脱いで、物珍しそうに外を眺めていたアリーシャが、隣の席に座るクシャースラに視線を向ける。

「どうかしましたか?」
「オルキデア様から何も聞かされていないのですが、これからどこに移送されるのでしょうか?」
「そういえば、まだお話ししていなかったですね」

 アリーシャの移送先については、オルキデアとクシャースラの間で先に決めてしまったので、アリーシャにはまだ伝えていなかった。
 これもまたどちらともなく言い出して、お互いに同じ事を考えていたのだった。

「変な場所には連れて行きません。ご安心下さい。アリーシャ嬢とオルキデアが夫婦として住むのに相応しい場所ですよ」
「相応しい場所……?」

 不思議そうな顔をするアリーシャに「それから」と付け加える。

「おれたちも便宜上、ずっと言っていましたが……。軍部から出た以上、貴女はもう捕虜ではなく、オルキデアの伴侶であるアリーシャ・ラナンキュラスです。
 ですので、これは移送ではなく、そうですね……。引っ越しと言いましょうか」
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