アリサ・リリーベル・シュタルクヘルトは死んだ
「だからでしょうか。いつもより美味しく感じられます」
「紅茶くらい感謝されるほどでもない」
「感謝もしますよ……今までは自分で淹れない限り、飲めなかったので」

 シュタルクヘルト(あっち)にいた頃は、紅茶に限らず、欲しいものは自分で用意をしなければならなかった。
 料理も、洋服も、言わなければ貰えず、たとえ貰えても何かしらの問題があった。
 側付きの老いたメイドは、歳をとって目が悪いからと、料理も裁縫もまともに出来なかった。
 ある程度、大人になってからは、自分で料理を作り、自分で裁縫をするようになったが、子供の頃は我慢の日々だった。

「水や食料と違って、紅茶は飲まなくても生きていけるので、自分で淹れない限りは飲めなかったんです。いつも自分で淹れていました」
「茶葉はどうした?」
「側付きの使用人を通じて、もらっていました。古くなって、処分寸前の……味や香りが落ちたものばかりですが」

 新聞からオルキデアは顔を上げながら尋ねてくる。
 濃い紫色の視線を感じながら、アリーシャはカップを手に取る。

「ここに来て、紅茶がこんなに美味しいものだったと知りました。
 紅茶だけじゃありません。料理がこんなに温かくて、美味しいという事を知りましたし、可愛いお洋服やオシャレな化粧品、優しい香りのする石鹸やシャンプー。タオルは柔らかくて、清潔で。ベッドはふかふか。
 全て貴方のおかげで知りました」

 今でも、あの家に居続けていたら、アリーシャは知らなかった。

 ーーこんなに、世界は温かくて、素敵なもので溢れているのだと。

「……褒めても何も出ないぞ」

 オルキデアは再び、新聞に目を落としたが、心なしか笑っているように見える。

「はい!」

 少しずつだが、最近ではオルキデアの微妙な表情の変化がわかるようになってきた。
 それがこんなにも嬉しいとは思わなかった。

「こんなことで喜んでいたら、身がもたないぞ。これから出掛けるところはもっと面白い場所らしいからな」
「面白い場所なんですか?」

 サラダ皿の中の葉物野菜をフォークで刺しながら、アリーシャは尋ねる。

「君にとっては。俺は何とも思わんが」

 ガサッと新聞を捲ると、オルキデアはそれっきり集中して読み始める。
 それ以上は邪魔をしないように、アリーシャも黙々と料理を食べたのだった。

 食後、皿を洗っていると、髪を解いて、薄手のコートを羽織ったオルキデアに声を掛けられた。

「先にコーンウォール家に行って車を借りてくる。君は仕度をして、屋敷で待っていて欲しい」
「車、ですか?」
「うちには車が無いんだ」

 オルキデアによると、維持費がかかる車は屋敷に無く、買い物やお出掛けなどで車が必要な時は、いつもコーンウォール家から借りていたらしい。
 それはコーンウォール家の義理の息子も同じようで、たまに車を借りに行くと、クシャースラに先を越されていたことが何度かあったと教えてくれたのだった。

「わかりました。運転はどうされますか……?」
「それは問題ない。俺がするからな」
「運転出来るんですか?」
「士官学校で車を始めとする各種免許を取らされた。戦場だけでなく、上官の送迎時にも車を運転するからな」

 言われてみれば、昨日アリーシャたちをこの屋敷に送ってくれたのは、オルキデアの部下であるラカイユだったと思い出す。

「すごいですね」
「これくらい、大したはない。では、取りに行ってくる。誰か訪ねて来ても、留守にしていてくれ」

 アリーシャが返事を返すと、オルキデアは厨房を出て行く。
 その背を見送ると、アリーシャは支度をしに部屋に向かったのだった。
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