アリサ・リリーベル・シュタルクヘルトは死んだ
「痺れ薬も……怪しげな薬も?」

 女性はフォークを置くと、そっと頷く。

「ここに来てから、何度かありました。
 最初に食べた時は、味がおかしいくらいにしか思っていなかったんです。
 でも、夜中に目を覚ましたら、身体中が痺れるような感覚がして……手足が動かなくなってしまったんです。
 人を呼ぼうとしたんですが、そうしたら、その日の食事を持って来た人が入って来て、私の身体を……」

 女性は自らを抱きしめると、大きく身体を振るわせる。

「その部屋に来た人が、言っていたんです。『食事に仕込ませた薬が効いてきた頃合いだろう』って」
「そんなことがあったのか!?」

 オルキデアの言葉に真っ青な顔で頷くと、女性は続きを話し出す。

「その日は、何とか抵抗出来ました。
 身体が痺れていても、髪を引っ張られても、胸元に伸びてきた手を何とか避けて……」
「そうだったのか……」
「それからは、その人が食事を持って来た時は、どんなにお腹が空いていても食べないようにしています。
 他の人でも、匂いや味がおかしいと思ったら、食べないようにしています。
 また、薬でも盛られているのかと思うと、身体が痺れて、襲われそうになったあの夜を思い出して、怖くて……」

 オルキデアはベッドに近づくと、囁くようにそっと問いかける。

「何故、それを早く言ってくれなかったんだ?」
「ここでは、誰を信じていいのかわからないんです。
 だって、私は捕虜なんですよね?
 怪我が治ったら独房に移されて、記憶が戻ったら尋問されて、国に利用されて……。そういう存在なんでしょう?」
「そのつもりだったが……。何故、わかったんだ?」
「昨日、部屋の前にいる見張りの方が、どなたかと話していました。
 シュタルクヘルトの新聞にも書かれていたんですよね? 私が見つかった場所で、私以外に生存者がいなかったって」

 オルキデアは濃い紫色の目を見張る。
 女性に言われて、否定は出来なかった。
 まさに、同じことをオルキデアも考えていたからだった。

「最近、怪我が増えていたのも、もしかして……」
「はい。食事に薬か……何かが仕込まれた日は、必ず夜半に人がやって来るんです。
 必死に抵抗している間に、ベッドや壁やあちこちに身体をぶつけたり、相手の爪で引っ掻いてしまったりして……」

 舌打ちしたい気分になるが、これ以上、女性を怖がらせないように、唇を噛むだけにする。

「入り口の見張りは何をしているんだ……」
「助けを呼んでも、駆けつけるまで時間がかかっているので、恐らく、見張りも協力しているのかと……」

 ここまでくると、頭を抱えたくなった。
 女とは無縁の男所帯の軍に連れてきた時点で、こうなることはわかっていた。
 その為に、最低限の情報のみを報告したというのに、それが裏目に出るとは思わなかった。

「すまなかった。何も気づかなくて」
「いえ! 貴方は……ラナンキュラス様は悪くありません! 私も何も言わなかったので……」

 女性は慌てて首を振ったが、菫色の瞳からポロリと涙が溢れ落ちた。
 オルキデアが息を呑んでいる間に、自分が涙を流していることに気づいた女性が、なぜかオロオロと慌て始めた。

「あれ? どうして、泣いているんだろう……? 大丈夫なのに。平気なのに……」
「……大丈夫でも、平気でもないから、泣いているのだろう」

「ほら」と、オルキデアはハンカチを取り出すと、女性に差し出す。

「あ、ありがとうございます」

 目元にハンカチを当てて、やがて嗚咽を漏らす女性に、オルキデアは何も言わずにただ側で見守る。
 女性の涙が止まるまで、ただ静かに付き添ったのだった。

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