アリサ・リリーベル・シュタルクヘルトは死んだ
「オルキデア様……?」
「そんな悲しい顔をするな」

 バクバクと心臓の音が聞こえてくる。
 これはアリーシャの心臓の音なのか、それともーー。

「悲しい顔をしていましたか……? 私……」
「ああ」

 膝の上で両手を握りしめて、「すみません……」とアリーシャは小声で呟く。

「余計なことを言いました。私ったら、この間一緒に出掛けた時からおかしいですよね。
 教会で式を挙げる夫婦に羨ましいって言って、今も皆んなから心配されるオルキデア様に羨ましいなんて……。今まで、そんなの思ったことも無かったのに……」
「思っていいんだ」

 大きく開いた菫色の瞳と目が合う。

「思うことが当たり前なんだ。人は誰かを羨むものなんだ。どんなに些細なことでも。
 これまで、君はそんなことを考える余裕が無かっただけなんだ」

 アリーシャがシュタルクヘルト(あの家)でどんな目に遭ってきたのか、オルキデアは想像しか出来ない。
 けれども、アリーシャの話や様子から、相当酷い目に遭ってきたのだと考える。
 周りを見る余裕が無いくらいに、自分のことで手一杯だったのだろう。世間知らずなのがその証拠だ。

ペルフェクト(ここ)にきて、捕虜から解放されて、心身共に余裕が出来て、周囲を見渡せるようになった。それで、誰かが羨ましいと考えられるようになったんだ。
 それは悪いことじゃない。誰もが持っている感情なんだ」

 古来から、人は嫉妬という感情を持っている。
 時には他者を滅ぼし、我が身さえを滅ぼすその感情に人は振り回されてきた。
 切っても切り離せない、死ぬまで持ち続ける感情の一つでもある。

「そうなんですね……」
「何も恥ずべき感情ではない。ただ、扱いには十分注意しなければならない。
 一つ間違えれば、身を滅ぼしかねない感情だ」

 アリーシャから身体を離しながら、「それから」と加える。

「君はもう一人じゃないんだ。俺を心配するのと同じくらい、君の身に何かあったら、セシリアやマルテたちが心配するだろう」
「セシリアさんは心配してくれるのでしょうか?」
「友達になったんだろう。君たちは」

 執務室からアリーシャを移送される時、セシリアと友達になっていたのを思い出す。
 仮眠室でセシリアと服を交換していた際のかしましい話し声から、すっかり仲良くなったのだと思っていたが……。

「それなら、オルキデア様は?」
「俺か?」
「オルキデア様は心配してくれますか? 私は、オルキデア様に何かあったら心配です……」

 自信なさげに俯くアリーシャに、オルキデアはフッと笑うと「当然だろう」と断言する。

「君に何かあったら、俺も心配する」
「本当ですか?」
「ああ。この契約結婚を解消してもな」

 この契約結婚を解消した後のことを、まだ考えていなかった。
 ただ、アリーシャを保護して、オルキデアの事情に巻き込んでしまった以上、今後も何かしらの関係性を持ち続けるだろう。
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