アリサ・リリーベル・シュタルクヘルトは死んだ
 セシリアに見送られて、オルキデアと共にオウェングス邸を辞したアリーシャだったが、何を話したらいいか分からず、短い道中を黙って歩いていた。

「あの、オルキデア様」

 二人が住む屋敷が見えてきた頃、アリーシャは勇気を振り絞ってオルキデアに話しかける。

「一昨日の夜は、すみませんでした。急に告白して困らせてしまって」
「こちらこそ、すまなかった。君の話を聞かずに、追い返すようなことを言って」

 アリーシャは首を振ると、「いえ、私の方が……」と言いかける。
 それを「君が悪いわけじゃないんだ」と遮られると、オルキデアは屋敷の方に視線を向けたまま話し出す。

「これまで、君の様に真っ直ぐで純粋な愛を伝えられたことがなかった。どうしたらいいか分からなかったんだ。
 それに、俺は知らず知らずの内に、君のことをずっと見下していたんだな。捕虜だと、子供だと、女だと」

 オルキデアと出会った頃、アリーシャは記憶喪失の捕虜だった。
 それも合わせて、アリーシャが歳下の女性というのもあって、オルキデアは気づかぬ内に、自分より格下の者だと見下して、子供扱いしていたらしい。

「気にしないで下さい。それは本当のことなので……」
「いや。君から好きだと……これからも側にいて、役に立ちたいと言われて気付かされた。
 俺は君を守っているつもりで、ずっと見下して……傷つけていたのだと……」

 オルキデアは立ち止まると、「すまなかった」とアリーシャに頭を下げたのだった。

「や、止めて下さい! 私は気にしていません! 子供扱いされていたことも、全然気づいていなかったくらいです!」
「そういう訳にはいかない。俺はずっと君のことを見下していたんだぞ」
「私が捕虜だったのも、歳下の女なのも、全て事実なので、オルキデア様がそう扱ってしまうのも無理はありません。
 それに、私は自ら選んだんです。貴方の側に居るって」

 オルキデアは頭を上げると、「そうなのか?」と言いたげに見つめてくる。

「記憶を失っていた頃から、オルキデア様にはずっと気にかけて頂きました。
 誰も知っている人がいない、知らない場所で、周りは敵国の男性しかいない中で、私は心細い思いをしていました。……明日はどうなるんだろうって、もしかしたら処刑されるのかなって。不安に感じていました」

 国境沿いの基地の部屋で、話し相手さえいない場所で、誰にも言えない不安な気持ちを抱えて、無機質な白い壁を毎日見つめ続けていた。

「でも、オルキデア様が側に居てくださったので、少しずつ安心出来るようになりました……今日まで頑張れたんです。
 私が知らないモノを貴方は沢山教えてくれました。シュタルクヘルト(あの)家では与えられなかったものを沢山得ました。
 だから、今度は私が貴方の側に居たいと思ったんです。
 教養も、身分も、お金も、何もない私が出来ることは限られています。それでも、私は思ったんです。私の出来る限りの力で、貴方を支えたいと」

 屋敷近くの街灯に明かりが灯った。アリーシャの藤色に混ざった銀が輝く。

「改めて言わせて下さい。私は貴方が好きです。この仮初めの関係が終わっても、これからも側に居させて下さい。
 もし叶うならば、今度は貴方の隣で、本当の伴侶として。貴方を支えていきたいんです」

 白い人工の明かりに照されて、オルキデアの濃い紫色の瞳が一際強く輝く。
 明かりの下で見るオルキデアの瞳は、まるで日が暮れたばかりの夜空の様な色をしており、魅入ってしまいそうになる。
 息を詰めて返事を待つアリーシャに、オルキデアはそっと笑みを浮かべたのだった。

「わかった。俺も自分の気持ちを答える。ただ、それには少しだけ時間をくれないか。
 今回は必ず、君に返事をすると約束する」

 オルキデアの濃い紫の瞳。
 いつだって、不安を吹き飛ばして、安心させてくれる。
 いつからか焦がれていたその力強い眼差しに、アリーシャは大きく頷いたのだった。

「分かりました。お待ちしています」
「ありがとう。で、肝心の夕食だが、何か希望はあるか。希望があれば店に連れて行く。外食にはならないが、配達を頼んで屋敷で食べてもいいぞ」
「それなら、シチューを食べたいです。セシリアさんが作っているのを見ていたら、私も食べたくなって……」
「わかった。軍部の近くに行きつけの美味い店がある。そこに行こう」

 オルキデアの半歩後ろを歩きながら、アリーシャは空を見上げる。
 一番星を見つけて、そっと思う。
 自分の気持ちは伝えた。
 これなら、どんな結果になっても後悔はしないだろうと。
 左手の薬指に触れると、オルキデアに遅れないように、彼の後を追いかけたのだった。
< 198 / 284 >

この作品をシェア

pagetop