アリサ・リリーベル・シュタルクヘルトは死んだ
「誰かと話したい気持ちになって、セシリアさんに会いに来たんです。書き置きを残したから、外出してもいいかと思って……」
「書き置き?」
「今朝起きたら、朝食の隣にオルキデア様の書き置きがあったので、その続きに書きました。書き置きはそのまま食堂に置いていましたが……」
「そうか……。慌てていたから、そこまでは見ていなかった……」

 抱きしめてくるオルキデアの身長に合わせて、爪先立ちになったアリーシャと、そんなアリーシャを離しそうにないオルキデアに、セシリアはそっと思う。

(これのどこが嫌われているのでしょうか。こんなにも愛されて……大切にされて……)

 セシリアでさえ、羨ましく思う。
 しっかりして、頼りがいがあって、芯の強い、ずっと兄の様に慕っていた父の友人の子供。
 自分の気持ちを我慢して、セシリアたち姉弟の我が儘にも、根気よく付き合ってくれた人。
 クシャースラとの結婚を後押しして、祝福してくれた人。
 その彼が、今こんなにも自分の気持ちを表に出して、一人の女性を愛しているなんて。

 微笑ましい気持ちになるが、爪先立ちで苦しそうにしている友人を放っておけなくて、セシリアはそっと二人の間に入ったのだった。

「オーキッド様、アリーシャさんが苦しそうです。そろそろ離して上げて下さい」
「あ、そ、そうか。すまない」

 オルキデアが身体を離すと、アリーシャは「大丈夫です」と苦笑したのだった。
 大丈夫とは言いながら、やはり苦しかったのだろう。
 オルキデアが気づかぬ程度に、そっと息を吐いていたのだった。

「今、アリーシャさんに夕食のシチュー作りを手伝っていただいていたんです。良ければ、お二人も召し上がっていきますか?」

 今日もクシャースラの帰りが遅くてもいいように、シチューを多めに作っていた。
 帰宅時間が遅いと軽くしか食べないクシャースラのために、消化にいいように具材は細かく刻み、それでも食べ足りない時はお代わりしてもいいように、量も多めに作ったのだった。
 けれども、オルキデアは「いや、遠慮しておく」と丁重に固辞する。

「今日は、アリーシャを連れて外食しようと思っていたんだ」
「そうでしたか……」
「その代わりになるかはわからないが、今日のクシャースラは早く帰れると思うぞ……昨日は俺に付き合わせてしまったからな」

 その話は知らなかったので、「そうなんですか?」と純粋に驚く。
 昨夜のクシャースラは、「仕事で遅くなった」という説明しかしてくれなかった。

「というわけで、アリーシャを連れて行ってもいいか。……もう、話しは終わったのか?」

 最後の言葉はアリーシャに向けられたようだった。
 戸惑うアリーシャの代わりに、セシリアが肯定する。

「アリーシャさん、よければこのショールを使って下さい」

 アリーシャが座っていた椅子に掛けたままになっていたセシリアのショールをそっと友人の肩に掛ける。

「お借りして、いいんですか……?」
「風邪を引いた方が大変です。風邪だからと油断していると、取り返しのつかないくらい、悪化することもありますからね」
「セシリアが言うと、説得力があるな……」

 かつて、風邪だと油断して、ひどい流行病に罹った経験のあるセシリアは、ショールを整えながら、アリーシャに言い聞かせるように話す。

「はい。気を付けます……」

 素直に頷くアリーシャを見つめていると、これでは、友人というより、姉妹のようだと、この時のセシリアは思ったのだった。
 アリーシャに貸していたエプロンを受け取ると、二人を玄関口まで見送る。

「またいつでも遊びに来て下さいね。今度は一緒に刺繍や編み物をしましょう」
「編み物も出来るんですか?」
「子供の頃に少しやっていたので。でも、結婚してからまた始めたので、簡単なものはお教え出来ると思います」
「凄いです! よければ、教えて下さい」
「ええ。ぜひ」

 手を振って去って行く友人と、そんな友人を愛おしそうに見つめる兄の様な幼馴染を見送っていると、何かが焦げたような臭いが漂ってくることに気づく。
 火にかけていたシチューの存在を思い出すと、慌ててキッチンに戻ったのだった。
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