アリサ・リリーベル・シュタルクヘルトは死んだ
 だが、オルキデアには考えがあった。
 オルキデアを気遣って、そっと湯船から出ようとするアリーシャに、オルキデアは「なんだ。そんなことか」と返したのだった。

「お前が気を遣わなくても、こうすればいいだろう」

 オルキデアは浴槽の端に背をつけると、薄紫色の湯越しに自らの膝を指す。

「下に座るから、お前は俺の膝の上に座ればいい。それで二人入れるだろう」
「膝の上……ですか?」

 戸惑うアリーシャに、オルキデアは「ああ」と頷く。

「お互いにタオルを巻いているから、肌が直に触れ合うこともない。膝が嫌なら、足の上に座って向かい合ってもいい。まあ、無理にとは言わないが」

 既にのぼせてしまっているなら、無理強いするのは良くない。
 別の理由で、これ以上一緒に入りたくない場合も止めるつもりはない。

「昨日の今日だから、一先ずは何も手は出さん。ただ、お前さえ良ければ一緒に入りたい。……これからは、少しでも長い時間を一緒に過ごしたいんだ」

 今は休暇を取って家に居られるが、休暇が終われば軍部で仕事をしなければならないし、任務で長期間、屋敷を開けなければならない時もあるだろう。戦場に召集されることだってーー。
 その時に寂しい思いをしない為にも、今は少しでもアリーシャと同じ時を過ごし、思い出を共有したい。
 後々、後悔しない為にも。

 一度は浴槽から出たアリーシャだったが、浴室に備えつけの棚から何かを掴んで戻ってくる。
 胸元でタオルを抑えながら、「いいんですか?」と、足と浴槽の隙間にちょこんとしゃがんだのだった。

「私、重いかもしれませんよ……」
「お前が重くないのは、さっき抱き上げた時に実証している。
 遠慮しないで、足の上に座っていいから、もっとこっちに来い」

 それにしても、珍しくやけに素直に従ったなと思いながら、アリーシャを足の上に座らせる。
 だがその理由は、すぐに判明したのだった。

「アヒル……」
「まだ、二羽と一緒に入っていなかったので」

 戻って来た理由が、自分ではなく二羽のおもちゃの鳥と知ってガッカリする。

「もしかして、いつも一緒に入っているのか?」
「はい。オルキデア様は一緒に入らないんですか?」
「そうだな……」

 何故、そんな質問をするのか、不思議そうな顔をするアリーシャに、オルキデアは返す言葉がなかったのだった。

 それでも、薄紫色の湯船の中で、なかなか浮かばないアヒルに苦戦するアリーシャを見ていると、そんなことがどうでもいいくらいにだんだん愛おしく思えてくる。

「どうして、頭が横に倒れてしまうのでしょうか……。湯船の中で倒れて、何度試しても浮かびません……」

 湯船に浮かせる度に、半回転して湯の上に倒れてしまうアヒルに、アリーシャは唇を尖らせて不満気な顔をする。

「見せてみろ」

 一羽を預かると、オルキデアはまじまじと観察する。

「頭と身体のバランスが取れていない作りなんだ。これではどうやっても浮かばない」

 頭が重く、身体が軽い作りをしたアヒルのおもちゃ。
 これでは重心が安定せず倒れてしまう。

「浮かばないことを前提で作っているんだろうな。このおもちゃは」
「そうなんですね……」

 あからさまに肩を落としたアリーシャの横顔にそっと触れる。湯に濡れて、薄桃色に染まった頬ごと振り返った菫色と目が合う。

「このおもちゃは、もっと大きいサイズがあったはずだ。それなら浮かぶかもしれん」
「大きいサイズがあるんですか?」
「昔、セシリアの弟たちに渡すプレゼント選びを手伝った時に見た気がする。
 おもちゃを取り扱っている店なら、置いてあるだろう」
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