アリサ・リリーベル・シュタルクヘルトは死んだ
(父上に報告に行かないとな)

 父だけじゃない。アリーシャを軍部から連れ出す際に協力してくれた親友夫婦にも、報告にいかなければならない。
 二人には随分と迷惑をかけてしまった。おそらく、誰よりも心配していることだろう。

「こうして、背中を洗っていると、母と暮らしていた頃を思い出します」
「そうなのか?」

 首だけ後ろを向くと、アリーシャは大きく頷いた。

「水道代を節約して、いつも二人で入っていました。最初に母に身体や髪を洗ってもらって、次に私が母の身体や髪を洗って」

 夜の仕事をしているアリーシャの母親が帰ってくるのは、早くても明け方だったらしい。
 母親が帰宅する頃には、陽が昇っており、子供だったアリーシャも起き出していた。
 アリーシャは母親が仕事から帰って来ると、そのまま母親と一緒に風呂に入っていたとのことだった。

「母は娼館や娼婦仲間、娼館に来た客から貰ったっていう、良い香りのする石鹸や入浴剤をたくさん持っていて、いつも浴室は甘い香りで溢れていました。
 今日は何の香りだろうって、いつも入浴の時間を楽しみにしたんです」
「俺とは反対だったんだな。俺の場合は、父上に身体を洗われるのが嫌で、風呂の時間が嫌いだったな。いつも皮膚が赤くなるくらい擦られて」
「痛そうです」
「だが父上が死んで、もう一緒に入れないのかと思うと、少し寂しくもあるな。……痛いって言わずに、洗われていれば良かった」

 ある程度、歳を重ねてからは、一緒に入らなくなったが、こんなに早く別れがくるのなら、もっと一緒に入っておくべきだった。
 今なら父の背中を流しながら、最愛の妻を自慢出来るのに。

「もう、いいですか?」
「ありがとう。後は自分で洗おう」

 手を伸ばして、最愛の妻からボディタオルを受け取ると、軽く背中を擦り、次いで腰のタオルも外すと、隠していたところを洗ってしまう。
 シャワーで洗い流すと、また腰にタオルを巻いたのだった。

「頭も洗いますか? もし、洗うのなら私にやらせて下さい」
「洗うつもりだったが……。いいのか?」
「一度でいいから、オルキデア様の髪に触れてみたかったんです」

 頭を濡らすと、手にシャンプーをつけたアリーシャに優しく洗われる。
「言ってくれれば、いつでも触らせた」と言いかけるが、これまでの捕虜であり、仮初めの関係では言いづらかったのだろうと思うことにする。

「オルキデア様の髪は、柔らかくて、さらさらで綺麗で、羨ましいです」
「お前の髪の方が触り心地は良かったぞ。ずっと撫でたくなる」
「そうですか?」
「まるで、猫か犬を撫でているようだった。温かく、手触りも良くて、抱きしめたくなる。口付けもしたくなるな」
「もう……」

 軽口を叩きながら、アリーシャに身を任せる。こうして誰かに自分の身を預けるのは、あの北部基地での惨劇後の療養以来ではないだろうか。
 そんなことを考えながら、肩近くまで伸びたダークブラウンを洗われていると、耳元で囁かれたのだった。

「痒いところはありますか?」
「無いな」
「ふふっ。こういうやり取りも母とやりました。
 美容室っていう髪を整えてくれるお店では、お店の人とお客さんで、こんな会話をするんだよって、教えて貰いながら」

 上機嫌なアリーシャに促されるまま、シャワーをかけられる。
 流れた泡はオルキデアの肩から背中を伝って、排水溝へと消えていったのだった。

 自分でも軽く身体全体をシャワーで浴びると、シャワーを止めて薄紫色の湯船に入る。
 すると、入れ違いにアリーシャが立ち上がったのだった。

「先に出ますね」
「もう出るのか? まだ入ったばかりだろう」
「私がいると湯船が狭くなって、ゆっくり出来ないと思うので……」

 アリーシャの言う通り、一人用の浴槽はオルキデアが足を伸ばしてしまうと、それだけで浴槽がいっぱいになってしまう。
 端にアリーシャが座るというのも、難しいだろう。
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