アリサ・リリーベル・シュタルクヘルトは死んだ(修正中)
 どうやら、これまでも屋敷を訪ねていたらしいが、運が悪いのか、偶然なのか、誰とも会えなかったらしい。

(いや、もし訪ねてきていたら、門前払いしていたな)

 オルキデアはそっと息をつく。
 もしかしたら、自分は母のことを何も知らなかったのではないかと。
 自分が知っている母親像は、父を始めとする他の人たちから聞かされたものだった。
 もし、それが違かったものだったなら?
 結局、何が正しいかは、その人自身から教えてもらうことしかない。

「それだけじゃないわ。貴方、他の貴族や軍人の娘たちと関係を持っていたんでしょう。その人たちのところを泊まり歩いていたんだわ」
「あれは、あっちから勝手に部屋やベットに入り込んでくるんです。相手するまで、なかなか離してくれず、それで仕方なく……」

「まあ、必ずしもそうじゃない場合もあったが」と、心の中で呟く。
 結婚した以上、誰も近寄って来ないとは思うが、今後もしそんなことをされても、もう二度と妻以外を抱かないと固く誓う。

「……俺が相手をしなかったのは謝ります。俺は、貴方が俺と父上を捨てて、他の男の元に行ったと、使用人たちから何度も聞かされました。……俺たちを嫌っているのだと思っていました」
「そんなはずないわ。貴方も、あの人も、私にとっては大切な人なのよ。いつだって、貴方たちを忘れた事はないわ……」

 空いている手で顔を覆って、泣き出したティシュトリアをオルキデアは悲痛な顔で見つめていると、傍らのクシャースラに肩を叩かれる。
 指差した方を見ると、扉の前に控えていた兵が睨みつけていた。
 そろそろ、時間なのだろう。

「母上、俺たちはそろそろ行きます。裁判の日まで、ここで大人しくしていて下さい」
「ねぇ、オーキッド」

 受話器を耳から離そうとした手が止まる。

「どうして、貴方はこんな私を母と呼び続けてくれるの?」

 受話器を持ったまま固まったオルキデアを、親友が心配そうに見つめてくる。
 どう言おうかしばらく考えた後、また受話器を耳元に近づけたのだった。

「貴方がどんな母でも、俺の母に変わりはないからです」
「オーキッド……」
「貴方が俺を産んで、父が俺を育ててくれなければ、俺はアリーシャと出会えなかった。
 ……『愛』を知らないまま、死ぬところだった。ただ、それだけです」

 最後の方は早口で言うと、オルキデアは受話器を置く。
 そのまま椅子から立ち上がると、「終わった」と扉の前に控える兵に声を掛けたのだった。

 扉を開けてもらい、部屋の外に出るまで、オルキデアはティシュトリアを振り返らなかった。
 振り返ってしまったら、母の顔を見たら、後悔しそうだった。

 母と分かり合えなかった日々を、母を理解しようとしなかった日々を。
 これまでの日々を、悔いてしまいそうになった。

 部屋から出たオルキデアの後を追いかけて、クシャースラが早足でやって来る。

「いいのか?」
「ああ……」

 二人を追ってきた案内役の兵に声を掛けると、そのまま面会室を後にしたのだった。

 屋敷近くにある馴染みのカフェにやって来ると、ようやく二人は息をついた。

「あれが、お前さんの母親か」
「ああ。見苦しいところを見せたな」
「いや、お前さんによく似た母親だったよ」

 クシャースラは適当にコーヒーを二人分頼むと、襟元を緩めたのだった。
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