アリサ・リリーベル・シュタルクヘルトは死んだ
 仮眠室にこもって、ベッドで泣いていたアリーシャが目を開けると、外は暗闇に包まれていた。

(寝ちゃった……?)

 仮眠室の窓辺に近づいて、カーテンを閉めようとすると、薄闇の空に三日月が輝き、星が瞬いていたのだった。

 頭が妙に重かった。目蓋も重く、涙で濡れた頬がピリリと痛んだ。

「部屋にこもっている場合じゃないのに……」

 アリーシャは呟くと、脱ぎ散らかしていた靴を履く。

 オルキデアに国に帰すと言われた時から、自分がどうしたいのか、ずっと考えていた。
 元々住んでいたシュタルクヘルトの、父の屋敷には、アリーシャの居場所は無かった。
 死んだと思われていたーーようやく、厄介払い出来た、と思っていたアリーシャが、無理に屋敷に居ても、肩身が狭いだけだ。

 それなら、母と暮らした娼婦街に戻ってしまおうと考えた。
 娼婦街に戻らないと約束させられたが、父に知られないように口止めをすればわからないだろう。

 だが、アリーシャが、アリサが死んだ事は新聞に大きく載ってしまった。
 娼婦街にもその話が知られていれば、死んだはずのアリサが生きていたと、大騒ぎをされてしまうだろう。
 そうすれば、いずれはアリサが生きているという噂が父に届いて、屋敷に連れ戻されてしまう。

 体裁を気にする父の事だから、死んだ筈のアリサが生きていたと知られないように、今度は屋敷の奥で誰にも姿を見られないように、厳重に閉じ込めるだろう。

 やはり、シュタルクヘルトにはアリーシャの居場所はない。
 それなら、ハルモニアに連れて行ってもらえばいい。
 一人で生きていくのは大変だが、ハルモニアは他国からの移民や、ペルフェクト、シュタルクヘルトからの亡命者への援助も手堅いと聞いている。
 最初は大変だが、仕事を見つけて、市民権を得れば問題ない。
 ただ、それがどれだけ時間がかかるかは、わからないが……。

 ーー本当は、オルキデア様の側に居たい。

 オルキデアの側が、一番安心出来た。
 守ってもらえるからだろうか。
 母が生きていた頃のように、心落ちつけられた。
 抱きしめられた時に、誰かに大切にされる喜びと、誰かの温もりを思い出した。

 最初は怖い人だと思っていた。
 冷たくて、ずっと怒っているような雰囲気をしていて、話しかけ辛くて。
 けれども、薬を盛られた事件をきっかけに、相手が敵国の人間でも優しく、思い遣りを持っている人だと知った。
 捕虜であっても、人権を蔑ろにしないで、個人として、人間として扱ってくれるのだと知った。ーーシュタルクヘルト家では扱ってくれなかったのに。

 守られてばかりいないで、いつかは彼の力になりたいと思った。
 けれども、アリーシャは軍に詳しくなく、知識も、体力も、財産も無ければ、美人でもなく、男であるオルキデアを満足させられるものを何も持っていなかった。
 それでも、ようやく部屋の片づけを手伝って、少しは彼の役に立てるかと思ったら、今度は国に帰すと言われてしまった。

 自分はどうしたいのか考えていると、オルキデアの母というティシュトリアがやって来た。
 こっそり部屋を出ると、廊下に居る監視の兵に無理を言って、来客に出すコーヒーを取りに行って戻ると、何やら不穏な話をしていた。
 アリーシャを病院に入れるとか、何とか……。

 その話に戸惑っていると、部屋から出てきたティシュトリアに、オルキデアに相応しくないと言われてしまった。
 悪口を言われるのは慣れている。シュタルクヘルト家で、散々、言われたから。
 ただ、自分のせいで、オルキデアに迷惑をかけているのが許せなかった。

 反論しようか悩んでいると、オルキデアは「大切な恋人」と言って庇ってくれた。
 嘘とはいえ、オルキデアにそう言われて嬉しかった反面、またオルキデアに助けてもらったという罪悪感に苛まれた。

 ーーオルキデア様の側は心地いい。けれども、このままでは、オルキデア様に頼ってばかりいては依存してしまう。

 だからこそ、アリーシャは自らオルキデアの元を離れる決意を固めた。

 ーーたとえ、胸が引き裂かれそうなくらいに、苦しくて、辛くなったとしても。

 数えきれないくらいの涙を流しても、そう決めたのだった。

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