蛇と桜と朱華色の恋

「だって、師匠がいなかったらあたしは……」

 彼のいない未来はすなわち悪鬼に堕ちた自分の破滅。『天』の末裔である彼が持つ神術が、朱華を護ってくれているのだ。彼が自分を求めているのと同様に、朱華もまた、未晩を必要としているのはお互いが納得している事実。
 当り前だと朱華は首肯する。拒むことなど、選択肢に入っていない。

「そう言ってくれると思ったよ。僕の朱華」

 おもむろに立ち上がった未晩は朱華の方へ移動して両腕を差し出す。そのまま朱華を抱き上げ、まじないの呪文を唱えてから、口唇を重ねる。迷迭香の強すぎる香りが朱華の意識を朦朧とさせ、未晩の腕のなかで朱華はぐったりと身体を擡げる。
 毎日のように朱華は未晩の腕のなかで、彼の唱える古の言葉と、甘い口づけを受けて眠る。それは、朱華を狙うものを退けるために、一緒に暮らしはじめてからつづけている儀式。けれど、幼いころにした互いの額への接吻とは違って、唇同士が触れ合ういまの口づけは甘いだけではなく、苦しみをも生み出している。

 それでも未晩は彼女を手放せずにいる。土地神の封印が解き放たれる十七歳になって、彼女が未晩の真実と向き合えるようになるまでは、自分が彼女を護らなくてはならない。だから結婚などという約束までとりつけて、傍に彼女を置きつづけている。
 朱華を託した神の契約を違わすことだと、わかっていても。

「ゆっくりおやすみ。悪い夢はぜんぶ、僕が引き受けてあげるから」

 啄ばむように少女の唇を味わっていた未晩は、意識を失ってしまった朱華を胸に抱いたまま、言葉を紡ぐ。

「たとえ土地神がきみを連れ戻しにやって来たとしても誰が渡すものか……」

 淡々としていながら決意に満ちた未晩の声を、無防備に眠る朱華は未だ知らない。
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