蛇と桜と朱華色の恋
肆 秘されし記憶に黄金の鍵

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 硝子窓に反射する朝陽を浴びて、朱華は起きる。

「あれ? ここ……」

 自分と未晩が暮らしていた診療所ではない。しかも、身にまとっている朝衣もふだん着ているものより上質で、光沢感がある。なぜ自分がこのような場所で寝ていたのか首を傾げたところで、小気味のよい扉を叩く音が響いた。

「朱華さま、お目覚めでしょうか?」

 その声で、朱華は我に却る。思い出した。ここは神殿。自分は竜神さまの花嫁となるためここに連れられてきたのだ。自分が花神の強大な加護を封じられている裏緋寒の乙女だから……

「あ、はいっ! どうぞ」

 慌てて応えると、安心したように雨鷺が入ってきた。紺鼠色の小袖を着て髪を高く結いあげている雨鷺は同じ装束の少女を連れている。幼さの残る少女も雨鷺と同じ小袖姿であるのを見ると、どうやら神殿に仕える侍女見習いのようだ。

「裏緋寒さまの本日のお召し物になります」

 朱華と目があったことに気づいた少女は顔を真っ赤にしながらたどたどしくも要件を伝えていく。朱華はありがとうと頷き、彼女から衣装を受け取ろうとしたが、雨鷺に奪い取られてしまった。

「まずは、湯殿にて身をお清めするのが先になります」

 そのまま、促されるように朱華は朝衣のまま、寝台を下りる。開いた扉の前で雨鷺が「Chikoyayattasa shirar〈感謝します、岩となりしものよ〉」と呟くと、霧のように細かい水滴が空中で弾けて消えた。

「いまの……」
「ルヤンペアッテの竜頭さまより賜れたわたしの加護術です。一晩程度でしたら幽鬼の侵入を阻む小結界を編み出せます」

 にこやかに解説する雨鷺に、朱華はそうだったのかと納得する。『雨』の民のなかには水を自在に操ることができるほどの強い加護を持つ人間もいるという、雨鷺は神殿の巫女のように万能なちからを持つわけではないが、特化したちからがあるから神殿内で重要な役割を持つ人間を世話することができるのだろう。

 朱華が室から出ると、そこには青い外套をまとった星河の姿があった。雨鷺は星河の姿を認めるとぺこりと礼をし、侍女見習いの少女が手にしていた衣装を手渡す。星河がにこやかに頷くのを見届けてから少女は「それでは私はこれで失礼いたします」と言って去って行く。

「彼女はこれから表緋寒の里桜さまのお世話に向かったんです」

 星河はそう言いながら朱華に「おはようございます」と笑いかける。まるで昨晩の出来事などなかったかのように朗らかに。
 朱華もまた、爽やかに挨拶をする星河に礼を返す。が。


「……なんで星河さんが湯殿に?」
「護衛です。なかまでは入りませんのでご安心を」
「入らないでください」
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