冷たい海


 海に面した小さな町だった。
 その海には、北のオホーツク海から冷たい潮を運んでくる親潮が流れていた。
 親潮は栄養塩を多く含み、『魚を育てる親となる潮』というのがその名の由来だという。しかし、沿岸に立って目に映る限りの海面からは魚は滅多に確認できず、そこにはただ、呑み込まれそうな静寂が広がっているのみであった。

 僕達はそんな町で育った。
 物心ついた時には美夏(みか)は僕の箏奏に合わせて、澄んだ海のように美しい声を伸ばしていた。その歌声と同じく透き通った笑顔を浮かべて。
 一歳下の従妹だった彼女の両親は彼女が三歳の頃に交通事故で亡くなった。家族三人で車に乗っていたドライブ中の交通事故。母親に覆い被さられる形で庇われ、左腕の切り傷のみで済んだ彼女は僕の両親が引き取った。だから、僕は四歳の頃からずっと彼女と同じ屋根の下で暮らしていたのだ。

 僕の家は古くから続く箏の名家で、僕は三歳の頃から箏奏を教えられていた。美夏が我が家に来た四歳の頃には、『さくら さくら』のような初心者向けの曲は弾けるようになっていた。

 美夏が来てからというもの、家で箏を奏でるとすぐに彼女が隣にやって来て、その純粋で澄んだ歌声を僕の箏奏に乗せた。僕は自分の箏奏に乗るその透明な歌声が好きで堪らなかった。だから、毎日、箏を奏でるのが楽しみだった。
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