冷たい海
 絶対に美夏を死なせない……熱い想いに満ちた僕の瞳を見て、彼女の微笑は苦しげに歪んだ。
「涼平兄ちゃん。怒らないで聞いてね」
 彼女の視線は少し下。その動かない足に移った。
「私、入院した方がいいんだって」
「えっ……」
 耳から入ったその単語は、僕の頭の中で独特の響きを持った。
「入……院?」
 その単語は、彼女は確かに『三人に一人』で、いつ危険な状態に陥るか分からない。そのことを僕に実感させるのに充分な響きを持っていた。まるで惚けたようにただその単語を反芻するしかできない僕に、彼女は無言で頷いた。
「でもね。嫌だと言った」
 彼女は下に向けていたその視線を、ゆっくりと僕の瞳に移した。
「だって、私……ずっとここにいたいから。ここでずっと、涼平兄ちゃんの箏を聞いていたいから。だから、お願い。お医者さんの言うことを聞けなんて、言わないで……」
 僕の瞳に彼女の澄んだ瞳が映って。だがすぐに、それは自らの涙で滲んでぼんやりと揺れた。僕には滲んで揺れて見える彼女に対し、ただ頷いて。その我儘を聞いてやることしかできなかった。
 分かっていた。ずっと僕の箏を聞いていたい……彼女のそんな我儘を聞いてやることは、きっと、『絶対に死なせない』という僕の決意を不可能にする。
 僕は彼女を守りたかった。でも僕の口は、彼女の寿命を『ただ』延ばしてやることなんてできなかったのだ。
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