冷たい海
「だって……見たいんだもの。涼平兄ちゃんがその箏で、みんなに……すっごく綺麗で忘れられない夢を見せてあげてるところ」
 綺麗で忘れられない夢……そう。それは、僕にとっても忘れられない夢だった。僕の爪が弦を弾くたびにそこには海が広がって、隣では美夏が透き通るほどに美しい声で歌っていて。できれば、永久に醒めて欲しくない、そんな夢。
「私……涼平兄ちゃんの演奏会に行きたい。もう一度……一度だけでいい。あの夢を……忘れられない夢を、私、見たいの」
 そこまで言った美夏は苦しげに顔を歪めた。たったそれだけのことを言うことも彼女にとっては命懸けで。息切れを起こしていた。

 このような状態の彼女が外へ出ることは命を縮める結果になるかも知れない。だがしかし、僕は彼女の口から懸命に放たれたその言葉を、どうしても断ることができなかった。忌まわしき悪魔の与える苦しみを和らげてやる術を知らない僕が、彼女にしてやれる最大のこと。それは、彼女の願いに対して全力で応えてやることだった。
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