冷たい海
 海蛍の洞窟の中。僕はそっと、彼女を寝かせた。そこは、前に彼女と一緒に来た時よりもずっと冷たくて、肌寒くて。だけれども、そこから見える冷たい海の風景は何も変わらない。

 夕陽が遥か彼方の水平線に落ちて空は紺色に変わり、洞窟もすっかり暗くなった。
 僕は彼女の隣にそっと座り、爪で弦を弾く。流れ出す旋律は洞窟の中の空気を震動させて、空間全体へ広がってゆく。そして、それは海面にも落ちて波紋となり、徐々にこの広大な海に響き渡る。

 僕は弾く。彼女のために。彼女と共に見た、綺麗で忘れられない夢のために。
 そう。ギリシャ神話の中でオルペウスがエウリディケのためにそうしたように、神々を感動させて、彼女をこの世界に戻して貰うように。
 その旋律は海の奥底にも響き渡り、微か。本当に微かであるが、その海底は青白い光を放ち始めた。それと同時に、僕の奏でるこの旋律に彼女の透き通った歌声が重なり、それは永遠の調べとなって。洞窟全体が、ぼんやりと青白い光に包まれた。
 それと同時に、僕は見た。その海に足をつけて遥か彼方、水平線の向こうまで歌声を伸ばす彼女の姿を……。
< 40 / 41 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop