悪役令嬢は執事見習いに宣戦布告される
 等身大の鏡に映っている自分の姿をしばらく見つめ、つま先立ちになる。ぷるぷると踵が震えながらも、背筋をピンと伸ばす。
 しかし、無駄なあがきをしたところで、鏡の中の身長はそう変わらない。

(そもそも、初等部から数ミリしか伸びていないんだった……)

 その場で崩れ落ち、毛足の長い絨毯の上に両手を置く。

「お嬢様……」

 エマが気遣わしげに声をかける。彼女は膝をつき、打ちひしがれる主人に手を差し伸べた。

「まだ希望を捨ててはなりません。きっと、成長期はこれからやってきます」
「そう……かしら……」
「栄養面は問題ないと思います。次は運動を積極的に取り入れてみましょう」

 声に慰めが満ちる。イザベルは鼻の奥が熱くなったが、はたと気づいた事実に視線を下げる。

「でも、わたくし……日差しを直接浴びると倒れるのだけど……長時間は無理よ」
「少しずつ体を慣らせば、きっと体力や筋力もつきます。諦めずに一緒に頑張りましょう」

 エマは新作のドレスをイザベルの前に当てて勇気づける。
 瞳と同じ若葉色の生地に白いレースを重ね合わせた、落ち着いたデザインのドレスだ。胸元から花びらが舞うように緻密な刺繍が施されている。
 なにせ、氷の祭典の後に行われる夜会用の衣装だ。王宮で催されるため、品位も重要な要素になる。

「及ばずながら、私たち使用人一同、精一杯サポートさせていただきますので。どうかお心を強く持ってください」
「……ええ、そうね。諦めたらそこでおしまいだものね。わたくし、頑張るわ!」
「その意気です、お嬢様!」

 励ましの声に、鏡に映ったイザベルも強気に頷き返した。

      *

 真冬に執り行われる氷の祭典は、国外からも観光客が押し寄せる国の一大行事だ。
 中央広場から王宮までの通り道に並ぶのは氷のオブジェクト。今年のテーマに沿った薔薇をかたどった氷の像は美しく、見る者たちの目を楽しませる。
 昨夜から降り積もった雪の道を慎重に歩いていると、横に並ぶジークフリートがふと足を止める。

「どうかなさいまして?」

 振り返ると、ジークフリートは左側に展示されていた彫像を見ていた。
 流星群を模したオブジェクトだ。空から降り注ぐ星々の様子が氷で表現されており、とても見事だ。

「終業式の入場シーンを思い出すな」

 ナタリアの強い希望によって実現した星祭りのフィナーレは、終業式にお披露目となった。
 暗幕が降ろされた講堂の中、足元に等間隔に置かれたランタンの明かりを頼りに中に入ると、星空の空間が作り出されていた。
 天井から吊り下げられた星々が時折キラリと反射し、幻想的な趣を演出する。
 その中で終業式の挨拶が粛々と行われ、最後は学園長から労いとお褒めの言葉があった。準備に参加したのは、星祭り実行委員と有志数名だった。

「確か、イザベルも手伝ったのだろう?」
「ええ。と言っても、顔を出したのは毎日ではありませんでしたし、役に立ったとはあまり言えない気もしますが……」
「フローリアやクラウドは感謝していたぞ」
「そうでしたか。……どこでそんな話を?」

 尋ねると、ジークフリートは腕を組んだ。

「学園長から相談されたとき、フローリアとクラウドも同席していたんだ」
「相談、ですか」
「ああ。せっかく用意を頑張ったし、評判も悪くなかったから、一度きりというのはもったいのでは、という話になっているらしい。来年もアレンジして使うのはどうか、という案が出ている」

 ナタリアの思いつきから始まったことだが、皆がいいと思うものなら来年も引き継ぐのは悪くないだろう。

「それはいいお話ですね」
「僕もそう思う。だが、そうなると星祭り実行委員の負担が増えるだろうから、そこは考えなくてはならないだろうな」
「なるほど……」

 人数調整はなかなかに難しい議題だろう。
 イザベルも眉を寄せて悩ましい顔つきで同意していると、ジークフリートがそわそわと落ち着きなく、言葉を続ける。

「ところで……ちょっといいだろうか」

 珍しく歯切れが悪い。会場の人が少ない場所へ誘導され、体調でも悪いのだろうかと顔色を窺うと、彼はごそごそとフロックコートのポケットから何かを取り出した。
 かと思えば、手のひらサイズの箱を突き出される。ぶっきらぼうな態度に首を傾げながらも受け取り、そっと上目遣いに見上げる。

「……これは?」
「約束の品だ」

 ジークフリートは四角い箱を真上に持ち上げ、中にあるリングケースを取り出す。見覚えのあるスチルが脳裏をよぎり、まさかと息を詰める。
 リングケースがパカッと開かれ、そこには小さい指輪が収まっていた。

「君だけを愛することを誓う。どうか、これからも僕のそばで笑っていてほしい」

 聞いたことがあるはずのセリフなのに、思考が停止する。脳内でリピート再生するが、驚きが上回って目を瞬く。

(ゲームのスチルと同じだわ……)

 凜々しい表情も、少しかすれた声も、彼の背景にあるオブジェクトも、すべてが記憶と一致していた。ただ違うのは、その相手が悪役令嬢であるということだけ。
 身動きできずにいると、ジークフリートが悲しげに目線を下げる。

「僕が愛しいと思うのはイザベルだけだ。僕の気持ちを受け取ってくれるだろうか……」

 切なげな言葉は、ゲームにはなかったセリフで。

(これはヒロインじゃなくて、わたくしだけに向けられた言葉なのよね……。そうよ、ここはゲームと同じ世界だけど、ゲームじゃないのだもの)

 イザベルは彼の手に自分の手を重ね、震える口を開く。

「嬉しいですわ。嬉しくないはずがないでしょう。……つけてくださいますか?」
「ああ、もちろん」

 左手を慎重に持ち上げられ、ピンクゴールドの指輪が薬指にぴたりとはまる。
 中央に一粒のダイヤモンドが輝き、その両端に小粒のピンクダイヤモンドが二粒ずつ並んでいる。一目見たときには小さい指輪だと思ったが、自分の指に収まったそれは最初からここにあったような錯覚さえ起こす。

「……ありがとうございます。これ以上にない、素敵な贈り物ですわ。一生大事にします」

 この嬉しさを伝えるには、まだまだ言葉が足りない。けれど、そんな思いすら見透かしたように、ジークフリートがふっと口元をゆるめる。

「君はやはり笑顔が似合う」

 耳を少し赤く染め、照れたように笑う婚約者の顔を見て、イザベルは声をなくす。
 恋に落ちる音が、した。

      *

 その後、エレーナは魔女であることを捨て、公爵家お抱えの薬師となった。彼女が調合する秘薬は、病で苦しむ人たちを癒やしたという。
 それから三百年経った今も、魔女狩りが行われた記録はない。
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