悪役令嬢は執事見習いに宣戦布告される

ジークフリートの悩み

 僕の名前はジークフリート・オリヴィル。ラヴェリット王国筆頭公爵の嫡男だ。
 僕には二歳年下の婚約者がいる。彼女の名前はイザベル・エルライン。つり気味の目元が目を引く伯爵家の令嬢だ。

 初めて彼女に会ったのは八歳のとき。父親の後ろに隠れた彼女は警戒している猫のように身を隠し、僕となかなか目を合わせてくれなかった。
 どうやって仲良くなろうか、と悩んでいた僕だったが、デザートの時間になるとイザベルはおとなしく席に着いた。

(そうか。お菓子が好きなのか……)

 初めて見るのか、若葉色の瞳をきらきらとさせてフルーツタルトを凝視している。上に載ったフルーツが落ちないように気をつけつつ、小さい口を開けて美味しそうに頬張る様子を見て、僕は口元を緩ませた。

(妹がいたら、こんな感じだろうか)

 親愛に似た感情を抱く。いつのまにか、先ほどまであった不安はなくなっていた。

      *

 その後、僕たちの関係は順調だった。
 彼女に気に入られるために欠かさず贈り物をしたし、婚約者としての振る舞いも板についてきた。
 けれども、待てど暮らせど、彼女の視線の色が変わる気配はない。
 所詮は政略結婚の相手。お互い、どこかにそういう思いがあるのだろう。
 表面上の付き合いを重ねるにつれ、それも致し方ないことだと思った。でも心の奥底では、いつか僕を見る目が変わるかもしれない、と淡い期待を捨てきれなかった。

 青空が澄み渡ったある日のこと。
 僕は聞いてしまったんだ。彼女の懺悔に似た独白を。

「あれはよくない。同級生が怯えていたじゃない。……言い方が少しきつかったのよね。ただでさえ怖がられているんだから、もっと優しく笑わないと。……それにしても、この身体測定の結果は何の間違いなのかしら。……わたくし、まだまだ成長する予定なのよ? なのに、数ミリしか伸びていないってどういうことなの……」

 場所は中等部の体育館裏にて。
 考え事をしながら広い校舎を散策していたら、蜂蜜色の髪が見えて足を止めた。彼女は今も白い壁際に向かってつぶやいている。
 僕はそろりそろりと足を後退させ、その場から静かに去った。
 誰もいない本館まで戻ってきてから、ふー、と息を吐き出す。頭の後ろに手をやり、天を仰いだ。

(さっきのは見間違い……じゃないよな。……あれが本来のイザベル……?)

 僕が知るイザベルは一分の隙のない、完璧な令嬢だ。周りから慕われ、微笑みを絶やさない艶然たる淑女。
 あんな風に身体を小さくし、弱音をこぼすような場面は知らない。
 僕の知るイザベルとは似て非なる姿。しかしながら、あれが素の彼女だとすると、いつもは虚勢を張っていたということになる。

(僕は婚約者なのに、そんなことも知らなかった……)

 自分の言動を反省し、身長のことで悩んでいた婚約者。公爵家嫡男にのしかかる重圧と同じくらい、彼女も周囲のプレッシャーに押しつぶされないようにしていたのだろう。
 もし形だけの婚約者でなく、心から信頼できる関係を築けたら、さっきみたいに弱い部分も見せてくれるだろうか。
 ただ好かれたいと思っていた自分とは違う感情が芽生え、戸惑う。
 婚約者を見る目が変わった瞬間だった。
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