悪役令嬢は執事見習いに宣戦布告される
 避暑地での滞在も今夜が最後だ。
 リシャールとジークフリートの仲もあまりいいとは言えない。直接的に言い合うことはないが、水面下で牽制しているような視線が交差していた。
 あれから、それとなく理由を問いかけてみたが、口をつぐんだきり話してくれない。こうなったら、ジークフリートから聞き出すほうが早いかもしれない。
 だが、婚約者は予定外の王族の訪問により、関係各所の調整で忙しそうにしていた。空き時間にはフローリアやレオンの相手をしていたし、領地経営の仕事は夜遅くまでやっているという。

(一度、手伝いを申し出たけれど、すげなく断られちゃったし。まあ、ただの令嬢では役に立たないのでしょうけど)

 一方のイザベルはというと、フローリアとレオンと楽しくお茶をしたり、散歩をしたりと令嬢らしく優雅に過ごしていた。王都より涼しい気候のおかげで、夜の読書タイムも有意義な時間になった。

「イザベル様、今晩は夜ふかしは控えてくださいね」

 心の声を拾ったような忠告が聞こえて、思わず心臓が跳ねる。

「……わかっているわ」
「寝不足はお肌の天敵ですよ。今日はラベンダーとレモンを配合したポプリを枕元に置かせていただきました。明日は移動日ですから、ゆっくり休んでください」
「レオン王子も明日戻られるのよね?」

 王宮から逃げてきたレオンだが、いつまでも公爵家に滞在するわけにもいかない。

「そのように伺っております」
「……令嬢たちの矛先も違う殿方に向かったという話だし、問題はないと思うけれど、アフターケアは必要かもしれないわね」
「ご心配ですか?」
「まあ、そうね。友人としてね」

 窓際の机に置いてある封筒を一瞥する。
 兄・ルドガーへお願いを綴った手紙は、すぐに快諾の返事が来た。もう手紙攻撃に怯える必要もない。当面の間、レオンの平穏は保たれるはずだ。
 大小のハプニングはあったにせよ、明日には王都に戻る。好感度の確認も終わったし、新しい問題点も浮き彫りになった。
 
(まさか、好感度が低くて、思ったより恋が進展していないなんて。ボートのイベントまでは順調そうだったのに……乙女ゲームの人生もままならないわね)

 これではノーマルエンドどころか、バッドエンドの可能性すらある。『薔薇の君と紡ぐ華恋』には友情エンドという曖昧な結末は用意されていない。
 フローリアの恋の障害となっている原因を考えながら、イザベルはリシャールが淹れてくれた紅茶を飲み干す。
 カモミール、リンデン、蜂蜜をブレンドしたハーブティーは昂ぶっていた神経をほぐすという。温かい紅茶を飲んだことで、体もぽかぽかしてくる。

(シナリオが少し狂っている原因って……どう考えても、わたくしよね? 結局、ジークはフローリア様に贈り物をしなかったし。ああもう、憂鬱だわ。どうにか「氷の祭典」までに好感度を回復させなくちゃ……)

 別荘での出来事を回想していると、叩扉の音が響く。

(フローリア様かしら?)

 初日の夜もこうしてドアを叩いて、落ち着かない様子で立っていた。数日を過ごして慣れたかと思ったが、そろそろ寂しさが湧き起こってくる頃合いかもしれない。
 リシャールも同じことを思ったのか、優しく訪問者に問いかける。

「どちらさまでしょうか?」
「……メイドのエリーでございます」

 ハスキーボイスは四十代のベテランメイドの声だった。リシャールが早足でドアを開けると、エプロン姿の彼女は深く腰を折った。

「お寛ぎ中に失礼いたします。ジークフリート様がお呼びですので、執務室までお越しいただけますか」

 予想外の呼び出しに、イザベルとリシャールは目を見合わせた。

      *

 執務室のドアは重厚な作りになっている。
 入室を許可する声に従い、そっと足を踏み出す。初めて入る室内にイザベルは目を瞬く。
 まず圧倒されたのは、天井まで届きそうな本棚が並んでいることだった。
 部屋自体はそこまで広くはないようだが、書物やインクのにおいがかすかに残っている。机の上には整理整頓された書類の束がうずたかく積み上げられ、風に飛ばされないように紐で縛られている。
 ぬるい夜風が部屋を吹き抜け、窓辺を見やる。部屋の圧迫感を緩めるためだろうか、大きめな両開きの窓が設えてあった。
 空気の入れ換えをしていたのかもしれない。ジークフリートは窓を両手で閉め、イザベルに振り返る。

「突然呼び出してすまない」
「いえ、それは構いませんけれど……。こんな時間に呼び出される覚えがないのですが、何かありましたか?」

 知らぬ間に不手際をしてしまっただろうか。その心配が顔に出ていたのか、ジークフリートは緩く首を振った。

「完全にこちらの手落ちだ。思っていたより、二人だけの時間が取れなかったから、夜に呼び出すことになってしまった」
「では、ご用件はいったい……?」
「まずは座ってくれ。大事な話だからな」

 大事な話というキーワードに、いよいよか、と腹を決める。
 二人がけのソファの端に座ると、向かいのソファにジークフリートが腰を下ろす。その表情はどこか暗い。

(フローリア様のことを好きになったことで苦しんでいるのね。公爵令息と成金上がりの男爵令嬢の結婚なんて、甘く見積もっても苦難しかないもの)

 ジークフリートは生真面目な紳士だ。二股をするような度胸もないのだろう。
 自覚した恋心を持て余しながら、まずは婚約者に本音をさらけだすことから始めるらしい。覚悟を決めて、イザベルは彼の告白に耳を澄ます。

「単刀直入に問おう。君の隠し事について、そろそろ教えてもらえないか」
「はい……?」

 聞き間違いかと思った。

(フローリア様のことを愛してしまったから、わたくしのことは愛せない……そういう話ではないの?)

 話が読めずに、イザベルは困惑したまま聞き返した。

「……なんのお話でしょう?」
「最近、君は変わったな。まるで、同じ顔の別人と話しているようだ」
「……っ……!」

 実は転生者なんです。
 喉からでかかった言葉を必死に抑える。世の中には、知らなくていいこともある。たとえ、それが真実であったとしても。

(そういえば、麓の町での振る舞いは令嬢というより、前世の庶民感が出すぎていたような……?)

 しかし、後の祭りである。
 イザベルは咳払いし、落ち着きを払って答える。

「よもや、生き別れの双子とでもおっしゃるのですか?」
「なるほど。瓜二つの別人という意味では、そうとも言えるかもな」
「…………」

 ジークフリートの真意を探ろうとジッと見つめるが、真顔のまま見つめ返される。そのまま、無言の腹の探り合いが続いた。
 先に口火を切ったのはジークフリートだった。

「昔の君と変わったところは、僕を見る目だ」
「……どういう意味ですか?」

 ジークフリートは視線を横にそらし、言葉を選ぶような間が空いた。

「例えるなら……そうだな、小説に出てくる登場人物を観察しているような目だ。僕だけじゃない。レオン殿下やリシャールに対してもだ。無論、いつもというわけではないが」
「…………よく見ていらっしゃるのですね」
「イザベルとの付き合いも長いからな」

 そっけない返答だったが、足を組み直して向けられる視線は鋭く、イザベルは身がすくんだ。縫いとめられたように、視線がそらせない。

「──君は何者だ?」
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