悪役令嬢は執事見習いに宣戦布告される
 星祭りまで、残り一週間。招待状の出席確認、関係各所のスケジュール調整、不測の事態への収拾と、星祭り実行委員は当日までやるべきことが山積みである。
 ゲーム内でのイベント内容を思い出しながら、イザベルは視聴覚教室のドアをそっと開く。暗幕はすべて留め紐でくくられ、室内は外からの光を取り入れて明るくなっていた。
 部屋の中央には一組の男女。茶色のくせっ毛の男子生徒と、腰まで伸びた黒髪の女子生徒。女子生徒は縁なしの眼鏡をかけている。

(あ、ラミカさんだわ……)

 イザベルが気づいた同じタイミングで、資料を広げて話し込んでいた男子生徒が振り返る。ばっちりと視線が交差し、焦げ茶の瞳が驚きの色に変わる。
 そっとのぞき込んでいたのがバレてしまった。どう弁解しようかと悩んでいると、男子生徒が思わずといったように声をもらす。

「うわっ……本物のイザベル様だ……」

 男子生徒は自分の失言に気づいたのか、慌てて口元を手で覆うが、すでに遅い。

「……ねえ。本物ってどういうこと? わたくしの偽物でもいたのかしら」
「そ、そういう意味ではなく、先ほどイザベル様の話をしていたものですから。噂をすれば影が差すとはこのことかと驚いてしまって……申し訳ございません!」

 平謝りして頭を垂れる姿に、さすがに脅しすぎたかと早々に折れることにする。

「そういうことなら仕方ないわね。ところで、あなたは?」
「ミゲル・カーネルベルク。歳は十六です。婚約者はいません」
「……だいぶ動揺しているようね。まずは深呼吸でもして落ち着きなさいな」

 ため息とともに言うと、ミゲルはすーはーと深く息を吸い込んだ。

「ところで、フローリア様はどこかしら?」
「か、彼女は席を外しています。急ぎの用件でしたら、すぐに呼んできますが」
「急ぎではないから、それには及ばないわ」
「いえ、呼んできます!」

 ミゲルは脱兎のごとく、視聴覚教室から飛び出した。
 残されたイザベルとラミカは気まずげに視線を交わし、イザベルが口火を切った。

「これ……差し入れよ。準備も終盤で疲れているだろうから、よかったら、あとで食べてちょうだい」
「あ、ありがとうございます。皆、喜ぶと思います。すみません、今はちょうど出払っていて……」
「いいのよ。人が少ない方が気が楽だわ」

 焼き菓子の詰め合わせが入ったバスケットを手渡すと、ラミカがふっと笑う。

「よかった。顔色は悪くないようね」
「……ご心配いただき、ありがとうございます。でも、もう大丈夫です」
「フローリア様から気に病んでいるみたいって聞いていたけれど、その様子なら睡眠も取れているようだし、大丈夫そうね」

 血色も悪くないし、声の調子も良さそうだ。
 安心していると、ラミカが言いにくそうに視線をさまよわせていた。

「あの……」
「なあに?」
「前から気になっていたのですが、イザベル様とフローリアさんは……」

 幸い、部屋には二人きりだ。イザベルは牽制にならないよう、柔らかく微笑む。

「友達よ。もっとも信じてくれる人は少ないのだけど」
「やはり、そうでしたか。最初は半信半疑だったのですが、差し入れまでしてくれるなんて、友達じゃないとできませんよね」
「信じてくれて嬉しいわ」

 心からの言葉を発すると、ラミカはわずかに眉を寄せた。
 どうしたのだろうと思ったが、気軽に聞けるほどの関係ではない。無言で様子を窺っていると、ラミカが意を決したように口を開く。

「私がこんなことを言う立場ではないことは、重々わかっているのですが……」
「何かしら? 今はわたくしと二人しかいないのだから、遠慮はいらなくてよ」

 言葉の続きを促すと、緊張しているのか、ラミカは薄く息を吐き出してから言う。

「イザベル様はご自身の婚約者が誘惑されても、ご不快ではないのですか?」
「それは、フローリア様のことを言っているのかしら」
「……そうです」

 この気持ちは他人には理解されないだろう。そうわかっていたが、ラミカがまっすぐに聞いてくるから、ついイザベルも気がゆるんだのかもしれない。

「あくまで、婚約は家同士の取り決めによるもの。ジークフリート様が彼女を選ばれるのなら、わたくしは応援するつもりよ」
「……本当に、それで後悔しないのですか?」

 疑い深いような質問に、不敵な笑みを返す。

「後悔は山ほどしてきたわ。あなたは後悔したことがある?」
「あります」

 思ったより力強い肯定が返ってきて、思わず言葉をなくす。
 圧倒されている間に、ラミカが口を開く。

「最後にひとつだけ、聞かせてください」
「何かしら」
「イザベル様は、自分の恋を諦めるおつもりなのですか?」
「……そうね。わたくしは諦めることしかできないもの」

 悪役令嬢のように人の恋路を邪魔し、破滅の道を進むなんてまっぴらだ。
 たとえ両思いにならなくても、二人が幸せであれば、他に望むことはない。

「わたくしは自分だけの幸せより、大切な人が幸せでいてくれるほうが嬉しいわ」
「そう、ですか。……ちょっと心配なので、ミゲルを連れ戻してきます」

 ラミカは一礼してから、その場を後にした。
 何かを決意したような背中を見つめ、イザベルは言いようのない不安に駆られた。
 その後、ミゲルと一緒に戻ってきたフローリアと挨拶を交わし、イザベルはそそくさと部屋を後にした。
 続々と集結する実行委員の輪の中で、そのまま居座る勇気はなかった。
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