惡ガキノ蕾
   ~じいちゃんもパパも居なくなった~
 それは、そんなあたしの持っている記憶の中に、宝物と呼べる物が少しずつ増えてきて、奥の方に仕舞い込んだ古い想い出を取り出すには、段々と手間が掛かる様になってきた五年後。中学生になって最初の冬の事だった。
   "神様はやっぱり居ない"
 神様は居るのか居ないのか?
 当時、因数分解も解けないあたしが、一握りの大人しか明確な答えを持たないであろうその問いに答えを出した。風の無いよく晴れた或る日の午後。その日に限って涙は一滴も出なかった。お昼休み職員室に呼ばれたあたし逹兄妹が連れてこられたのは、地元から遠く離れた知らない病院の地下室だった。薄明かりの病室の中、ベッドの上には何も話さなくなったパパの躰が寝かされていた。ぽんと頭に触れてくる大きな手は、もう動く事もない。…多分その事実を頭が認めるのを拒んだからなのか、そこから記憶は、一度空白の時間が続く。
 ──気が付くと、あたし逹はパパが横たわるベッドの脇に置かれた飾り気も暖かみもない、黒革の長椅子に座っていた。誰も、一言も言葉を発する事無く。一樹も双葉も泣いてはいなかった。それ処か、その顔にはほんの僅かな感情の色さえ浮かんではいなかった。昼間だったのか夜だったのか、時間も色彩も熱も、何もかもが無くなった部屋の中、一樹の爪先がパパの置かれたベッドの脚を蹴る音だけが途切れる事無く続いていた。
 一樹の中学卒業まで四ヶ月を残した十二月。道路に飛び出した何処の誰かも分からない子供を助けるのと引き換えに、これと言った特徴も無いトラックにはねられてパパは逝った。警察から聞かされた事故を目撃したという人の証言では、子供の母親と思われる女の人は、事故の後直ぐその子供を連れて立ち去ってしまったという話で、それ以後、その母子を見かけた人が現れる事は二度と無かった。漫画とか映画でよく使われるありふれた話だった所為《せい》なのか、あたしのキャパが足りなくて処理し切れなくなった所為なのか、その晩は眠った覚えが無いまま朝を迎えた。そして次の日になっても涙が出てくる気配は無く、まるで世界から水分が消え失せてしまったみたいに全てが渇いて見えた。人も花も土も、川の流れさえも。
 その日から一月《ひとつき》二月《ふたつき》の間の出来事は、今思い返してみても浮かんでくる景色が殆ど無い。
 パパが死んだ事で、その二年前にじいちゃんも亡くしていたあたし逹兄妹は、未成年者だけの保護者の居ない家庭となる。それまでは取り立てて意識する事も無かったんだけど、パパに兄弟が居ない事もあって、じいちゃんが亡くなった時点であたし逹の肉親はもうパパしか居なかったんだよね。それは、じいちゃんが死んだ事さえ有耶無耶《うやむや》にされ甘やかされていたあたし逹に突き付けられた、初めての現実味の全く無いリアルな現実だった。と言うのも二年前、あたし逹三人がじいちゃんが亡くなったのを知ったのは、実際のじいちゃんの死から一年以上が過ぎてからだったからだ。何故かと言えば入院先からじいちゃんが亡くなった報せ《しらせ》を受けたパパは、あたし逹が学校に行っている間に、出棺から火葬までその全てを一人で済ませ、じいちゃんが死んじゃった事をあたし逹に隠したからなんだ。その事が分かったのは、御見舞いに行きたいと言う度《たび》、色々な理由を付けては先延ばしにしようとするパパに遂に痺れを切らしたあたし逹が「明日こそは何が何でも御見舞いに行く!」と騒ぎ出した或日の夕方の事だった。天井に向けふぅ~と、なが~く煙を吐いたパパが、「無理だな。…もう死んじまっていねえもん」って普通に、ほんと「あ、忘れてた」って位の気軽な感じで言ったから。あまりに軽いその言い種に、一度耳から零れて《こぼれて》聞き返した程。…だけど、あたしと一樹が「嘘だぁ」とか「それ全然面白くない」とか、同じよに軽い調子で返してみても、パパは黙ったまま。小さい頃から人並み外れて感受性の強かった双葉は、最初のパパの言葉を聞いてからずっと、立てた膝に顔を伏せて一言も喋んないし、そんな双葉とあたし逹を泣き笑いみたいな見た事無い顔で見詰めるパパの様子に、一樹の顔色も段々と変わっていった。そこからの細かい流れは正直あんまり覚えて無くて、思い出せるのはパパの背中を殴りつける一樹のきつく握り締めて白くなった、未だ小さかった拳だけ。
 その日から暫く《しばらく》の間は双葉以外、つまりあたしと一樹は、パパと碌に《ろくに》口も利《き》かないで、声を掛けられる度《たび》不貞腐れた態度で真面《まとも》に返事を返さなかった。それでもパパが何も言わなかったのは、あたし逹がパパに冷たく当たる事で、無意識の内にじいちゃんが居なくなってしまった寂しさを紛らわせていると感じていたからかも知れない。それにね、今になってみると、あたしにもなんでパパがそんな事をしたのか、ちょっぴりだけど分かる気もしてるんだ。小さい内にママを亡くしていたあたし逹に、それ以上悲しい思いをさせたくなかったんだよね、きっと。一樹は中一だし、あたしと双葉なんて未だ小学生だったから、少しでも大きくなってからって考えたんじゃないのかな。動かないじいちゃんを眼の当たり《まのあたり》にしたり、焼かれて骨になっていく時だって、近くに居るよりは……。後から知ったからって悲しく無い訳じゃないけど、時間も距離も少しでも遠い方が、記憶の中に残る悲しみを薄めてくれそうだし。だって今だにあたし、じいちゃんが何処かで生きてるような気がする時あるしね。もう今となっちやパパのほんとの想いなんて、聞く事も出来ないけどさ。話した事は無いけど、一樹も多分同じように考えてるんじゃないのかな。…そんな気がする。双葉に話せばもっと違った意見も聞かせてくれそうな気もするけど…。だけど、その頃は未だじいちゃんが居なくなった悲しさがちょっとだけ寂しさに変わり始めたばかりだったから、このパパの死はあたし逹を今度は逃げ場の無い深い悲しみの檻《おり》の中に引き戻して、そして閉じ込めたんだ。
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