惡ガキノ蕾
        ~それから~
 親戚もい居なくて、ボロボロのまんま施設に入れられそうだったあたし逹を引き取ってくれたのは、ニコイチの片割れ、木村の爺さん。通称きむ爺だった。七十過ぎのこのお爺さんにあたし逹は躰と心、全部を救われる事になる。桜木から木村に名字を変えて、きむ爺の養子になったあたし逹は、施設行きを免れ《まぬがれ》る事が出来たのだった。「なあに、名前なんてなぁそんなもん、大人になったら元にもどしゃあいいんだ」そう言ってきむ爺は笑ってくれたっけ。
 でも結局‥‥結果的にだけど、きむ爺の家で卒業まで真面《まとも》に暮らしたのはあたしだけで、一樹は中学最後の三学期を殆ど学校に学校に通う事も無く、パパのお葬式に来ていた鳶の親方の処でアルバイトとして働き始め、夜は会社の寮に泊まるようになる。同じ頃双葉も外泊する事が多くなって、家でも学校でも姿を見掛ける事が少なくなっていった。そんなこんなで、この後の二年間は兄妹三人が顔を合わせる機会もめっきり減っていったのだった。
 やがて卒業と共に鳶として働き始めた一樹は、当然の様に寮で暮らす様になり、次の年に卒業した双葉は就職と同時に弟子入り、からの住み込み。そして彫り師へと怒涛《どとう》の展開を見せる事となる。パパの携帯から見つけ出した彫り師に連絡を付けて会う約束を取り付けると、どう話を持っていったのかは教えてくれなかったけど、卒業するまでの家に帰って来なかった一定の期間は、そこで泊まり込みの上、殆ど無給で働いていたのだと話してくれた。当時、刺青《いれずみ》なんてまだまだ今程メジャーじゃなくて、おっかない人か職人さん。他にはじいちゃんとかパパみたいな、頭《かしら》とか呼ばれてる鳶位しか目にする事も無かったし……あ、勿論テレビとかネットは別にしてね。そんな感じの頃だから、中卒で彫り師ってかなりレアだったと思う。今みたいに子供から大人までこんなに流行るなんて、あの頃は誰も思っていなかったんじゃないかな。昭和生まれの人達の中にはまだゝ抵抗ある人達も沢山《たくさん》居たしね。小学生から通っていた剣道クラブで敵無しだった双葉は、先生達や稽古で一緒になる警察官達からも可愛がられていて、高校進学やその後の奉職まで奨められていたみたいだけど、そういった誘いに一度も首を縦に振ることは無かったんだ。高校のパンフレットや奨学金の資料を持ってきては親身に話してくれるみんなの前で、「七十過ぎのきむ爺の世話になりながら高校に通うなんて…、そんな野暮な真似《まね》あたしには出来ない」って静かに言った後、下唇を噛み締めて強い目をした双葉の顔をあたしは今でもはっきりと覚えてる。粋《いき》とか野暮ってパパとじいちゃんが口癖の様に言ってたけど、一度口にした事は頑として変えないのも双葉とパパは同じだった。進学しなかったのは、学校に行ってなくて受験に不安があった訳じゃなく、一日も早く子供達の力で生きて行く為、双葉なりに考えた末の事だと分かり過ぎる位知ってしまっているあたしは、何も言えずに周りの子達と同じく平凡な学生生活を送っていた。それを双葉と一樹が望んでいて、もしあたし迄が学校に行かなくなって仕事を探すような真似をしてしまったら、その二人の気持ちを踏みにじってしまうという事も同じ位よく分かっていたから。だから、それからの二年間は三人がそれぞれの立っている場所で自分に出来る事だけをやった。なんの約束も保証だって無かったけど、只《ただ》お互いを信じてね。
 そして双葉の卒業から一年後の今年、あたしの中学卒業に合わせてパパが残してくれたお金を頭金に、あたし逹兄妹は中古だけど三人が一緒に暮らせる家を手に入れたんだ。
 ──四月。
 もう一度、新しい住まいを見詰める。
 駐車場の一角に蕩々《とうとう》と立つ老いた櫻。その木肌に触れた背中から温もりが伝わる春の日。
 「あたしにも見せて!」
 一樹と双葉の背を追うあたしの躰を、風がそっと押した。
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