きみはカラフル




子供の飛び出しを避けたバイク、交差点に突っ込む―――――



翌日の新聞にはそんな見出しが躍った。
そして詳細記事には、婚約者を庇った男性が死亡したと記されていたらしい。

らしい、としか言えないのは、わたしはその記事にいっさい目を通していないからだ。



通夜と葬儀は、粛々と執り行われたが、いくつかのマスコミが取材に来ていたようで、関係者とピリピリしたやり取りがあったようだ。
亡くなった人を見送りに来たというのに、”婚約者を庇った” という、世間受けしそうな内容の事件に飛び付いた不作法な記者達に囲まれて、参列者達は悲しみとともに大いに憤慨していた。
結局葬儀社が対応して、参列者への取材は一切しないという取り決めを交わし、大手のマスコミは引き下がってくれたのだという。
だが一部、品位を持たない出版社やフリーライターなどが執拗にマイクを向けまわっていて、関係者は不快感を持ったまま、弘也さんとの別れを迎えることとなった。
だがこの一連の事情も、わたしはリアルタイムで知ることはなく、後々父から教えてもらったことだった。


わたしは弘也さんのお父様の配慮で、家族席に並ばせてもらった。
入院中だったお姉さんは退院の許可を得られず参列することが叶わなかったので、わたしはお会いできないままだった。
そのことは、うっすらと覚えていたようだった。


けれど、あれから、どうやって時間が進んでいったのかが、さっぱり分からない。
…………弘也さんを失ってから、わたしは、どうやって生きていたんだっけ?









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