『異世界で本命キャラと恋に落ちたい。』
 山賊のアジトから大きな街へと移った夜、隣の部屋からドアがそっと開く気配がして目を覚ました。恐らくユウキだ。きっと眠れないんだろう。
 バルトと目配せしあうと、心得たように頷いて部屋を出ていく。あんなことがあってすぐなので念のため……というのもあるが、こういうときのフォローは俺よりバルトの方が向いている。あいつは素直な分、人の心に寄り添うのが得意なやつだ。
 一人になった部屋が静かで、余計な考えが浮かんでは沈む。あの時油断していなければ。もう少し早くたどりつけていれば。部屋のドアが開いてはじめて、バルトが戻ってきたことに気が付く。いつの間にそんなに時間が経っていたのか、また気が抜けていたと自分を戒めた。
「寝ていなかったんですか?」
「ああ……ちょっと考え事をしていた」
「……ねぇ、兄さん。ユウキさんは不思議な人ですね。
 いつのまにか私の方が話を聞いてもらっていて、心が少し軽くなりました。
 兄さんも、こんな心地なのでしょうか」
「? なんでそこで俺が出てくるんだ?」
 首をかしげたバルトはおや、という表情になる。ユウキと一体何を話してきたんだろうか。
「兄さんは、ユウキさんと出会ってからよく笑うようになりましたよ。
 以前はいつもどこか険しい顔で張り詰めた印象でしたけれど……少しでも息がつけるようになったんだなって。あの人と話していると、そう感じます」
 そう言って微笑むバルトに虚をつかれたような気持ちになって返答に詰まった。バルトにずっと心配をかけていたのかもしれない、ということもだが……俺はそんなにユウキの影響を受けているんだろうか。だが、その通りだと、どこかで同意する自分もいた。
 翌日、必要なものを買いに出ている間もユウキの笑いかたはどこかぎこちない。いつも通りにしようと努めているようだが、その様子を見てとるたび後悔の念が募った。
 その後は部屋でそれぞれの荷物を準備していたが、どうしても気になってユウキの顔を見に行った。どうやらもう一度買い物に行くところだったらしく、付いていくことにした。……やはり、話した時の表情はどことなく無理をしている気がする。
 陽の傾いた街を二人で歩きながら、どう声をかけるべきか言葉を探す。迷った末に出てきたのは謝罪の言葉で、口にしてしまってすぐ失敗したと思った。ユウキ自身あの洞窟でのことを思い起こさないようにしていると感じていたのに。ユウキは難しい顔をして何かを言おうと考えているようだ。こいつのことだから、気にするな、と言うのかもしれない。俺の自己満足のせいで嫌なことを思い出させた上に、気まで遣わせている。何をやっているんだ、俺は。自分の迂闊さに不甲斐なくなる。
 とにかく他になにか話題を──そういえば。
「そういえば、何を買いに行くんだ?」
「プリンの材料だよ」
「ぷりん……ああ、あのお菓子か」
 前にユウキの作ったあの美味いやつ。あれはもう一度食べたいと思っていた。反射的に声が明るくなっていたのか、ユウキがおかしそうに声をあげて笑う。しまったと思ったけれど、これはいつもの見慣れた笑顔のような気がしてほっとする。
 それはそうと、微笑ましいものを見る目でニヤニヤしているのが癪に障る。あまりにも見てくるので額を軽く叩いたが、ユウキは嬉しそうに笑うばかりだ。
「本当に気に入ったんだなって思って」
「……あれは美味かったからな」
 あんなに美味いものを食べたのは初めてだと思ったくらいだ。……そんなことを言ったらもっと調子に乗りそうなので言わないが。ユウキの世界にはそういったものがたくさんあるらしいので、少しだけ気にはなる。
「テオドールのそういうところ、好きだな」
 そういうところが、好き。
 突然のその言葉に動揺してしまった。ユウキ本人も口から出たのは想定外だったのか、慌ててつらつらと詳細に伝えてきてさらに気恥ずかしくなる。……こんな風に思っていたのか。ユウキがこちらを向こうと顔をあげるのを思わず手で止めてしまった。
「テオドール、もしかして照れてるの?」
「……うるさい。お前が急に恥ずかしいことを言うからだ」
「えっなんで??見たい!!」
 気落ちしていたと思ったのに急に生き生きとしたり、忙しいやつだ。とにかく、今のこの俺の顔はなんとなく見られたくない、気がする。見られないようにすばやくユウキを反対方向へ向かせた。
 今までは、あの魔力の光で届く感情を一方的に受け取って、確信もなく、どこか心を盗み見ているような気まずさを感じていた。どんな意味だとしても、ユウキの口から初めて明確に俺に対する気持ちの一端を聞いた。それだけのことが、どうしてこんなに心を揺さぶるのか。さっきのように感情を揺らすときは大体魔力の光が飛んできたんだが、今日に限って飛んで来ないのは逆に良かったかもしれない。今また『俺でないもの』への感情を受け取ってしまったらと、そんな想像をしてしまう。
 不服そうに前を歩く頭に思わず手を伸ばして撫でると、嬉しそうに笑う気配がして、また胸がざわついて落ち着かない。思っていたよりも、ユウキの存在が今の俺を占めているかもしれない。その事実に気がつかないほうがよかったか。

 明日この街を出たら、スピカを故郷の村まで送り届けて、ルカたちとの合流も目前だ。そのあとは、中央神殿に浄化の装身具を奉納しにいく。旅はもう、終わりにさしかかっている。
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