『異世界で本命キャラと恋に落ちたい。』
 気がつくと、信号が青に変わっていた。後ろから来た人が立ち止まったまま動かない私にぶつかり舌打ちを残して歩いていく。
「あ、すみません」
 つい反射で謝ってしまう。でも、今はぼんやりとしていた私が悪い。
『おい、まだ寝ぼけてるのか』
『──テオ』
 頭の中から、いつものように『彼』が呆れた様子で話しかけてくる。いつもの大学からの帰り道、雨上がりで湿った道路と緑の匂いがする。何か大事なことを考えていたような気がするけれど、なんだったか。
『ほら、ユウキ、行くぞ』
 ──違う
『うん』
 スマホを確認すると、明日は楽しみにしていたイベントの日だったことを思い出した。あんなに楽しみだったのに、忘れてたなんてと、首を捻る。
『おいおい、この俺様より大事なことがあるっていうのか?』
 ──違う
 そんなことないよ、と『彼』に返して歩き出す。なんだか今日は頭がぼんやりとする。
 明日は『ユメヒカ』年に一回のスペシャルライブステージ。私は一日二回の公演どちらも参戦予定だ。
『明日は久しぶりにテオに会えるね』
『そうだな。……俺も、悠希に会えるのが楽しみだ』
 ──違う
 いつもの、私の頭の中での『彼』との対話。いつもと変わらない、そのはずなのに。なぜだろう。違うんだと、頭の隅でずっと聞こえる。
『おい、悠希、どうした』
 そうだ。これは私の知っているあの声とは違う。
『……これは、テオじゃない』
 怒ったり、呆れたり、笑ったり……色々な感情を乗せて私の名前を呼んでくれた。
『悠希』
 『彼』はいつだって、私の望む答えだけを返してくれた。──でも。
「違う!」
 これは、私の求めるあの声じゃない。
 耳を塞いでしゃがみこむと、景色はすべて溶けて消え真っ暗な闇だけが残った。

“──忘れるか?”
 とても優しい声が響いてくる。耳を塞いでいても関係ない。直接胸に染み込んでくるような、甘い毒のように、優しい声だ。
“──忘れたいと望んだだろう? 今なら叶えてやれる”
 嫌だ。忘れられない。
“──幸せだったんだろう? あの頃に戻れる”
問いかける声音はとても親身で優しく、私のことをただ案じているように囁く。
 確かに、私はあの頃だってとっても幸せだった。でも、この世界に来て、テオドールに出会って、皆と旅をして。もっと幸せなことを知ってしまったから。たとえこのままもとの世界に帰るのだとしても、総てを無かったことには、したくない。
 暗闇の中で感じた孤独と、憧憬。あれは闇の神のものだったのかな。
 ねぇ、あなたはもしかして──光の神に会いたかったの?
“────”
 こうして何度も何度も、気の遠くなる時間のなか、ただそれだけを求めて繰り返しているのだろうか。応えがないことが、答えなのか。闇の神はじっとこちらを見つめているような気がした。
 この世界に来て瑠果ちゃんと話した、私たちの望み。それは皆を助けて、その願いを叶えること。やっぱり私には皆を助ける力があるなんて思えない。でも、そのためにできることがあなたと戦うことだというなら、敵わなくても、何度でも、戦う。私とあなたのやり方が相容れないなら、あなたのその望みを、踏みにじっても。
 自分の内から燃え上がるような魔力を感じて、握りしめた拳から炎があふれだした。胸元の守り石から暖かい魔力を感じる。まるでスピカが力を貸してくれているみたいだ。手の中の魔力はイメージ通り使い慣れた弓の形をとった。答えはとっくに出ているのだ。守りたいものがあるから、もう迷わない。その心の赴くまま弓を引く。
“──ずいぶんと、傲慢で利己的だ”
「……それでいい! 私は、私の守りたいものを守る。」
“──なるほど。”
 暗闇に溶けた闇の神は、とても楽しそうに嗤った。
 嗤い声のする方へ向かって炎の矢を放つ。矢は浄化の光と混じり合い、闇を射ち祓うかのように、周りの景色も元に戻していく。その先に居たのは──

 テオドールのドラゴンは翼を広げて、まるで私とバルトルトを闇の炎から庇うように佇んでいて──その胸には、私が放った矢が突き刺さっている。ドラゴンが断末魔のような激しい咆哮をあげた。その光景に目の前が真っ暗になりそうだった。でも……きっとテオドールは、こうしろと言うはずだ。私は唇を噛み締めると、そのまま飛び込むように、ドラゴンの首にしがみついた。
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