俺様な幼なじみは24年前の約束を忘れない
退職の報告をもみじさんにすると、とても寂しがってくれた。
「莉子ちゃんがいなくなるなんて!私も早く寿退社するわっ。」
と今まで以上に意気込んでいる。
もみじさんと私には、もう一つお別れがあった。
デリ蔵が引退したのである。
司書の台車の音がうるさいと、苦情がきたらしい。
新しい台車は、折り畳み式で、色も水色で若々しい。
静音が売りらしく、押してもコロコロとやはり若々しい音がする。
これで10000円とは驚きだ。
こんなに安いものなのに、なぜもっと早く購入してくれなかったのか。
デリ蔵を否定する気は毛頭ないが、デリ蔵を押している時の音は本当にスゴくて、たまらなく恥ずかしかったのだ。司書がどこにいるのか、知らせて歩いているようなものなのだから。
先生たちが注文する本は、台車よりずっと高いのに比較的簡単に予算が通り、司書は10000円の台車もなかなか買ってもらえない。
世知辛い世の中だ。
新しい台車は、「デリー」と名付けた。何となく洋風の名前がしっくりくる、という意見がもみじさんと一致したのだ。
デリ蔵が引き取られる日、私ともみじさんはデリ蔵を磨き上げ、油をさし、持ち手には青いリボンをつけた。
粗大ゴミの回収業者の人は、リボンのついた台車を見て、ギョッとし、デリ蔵ありがとう!さようなら!と泣きそうに見送る私たちを直視しないように、そそくさと帰っていった。
その後は、コロコロとデリーを押しながらデリ番をこなし、退職に向けての引き継ぎを行った。
そして、デリ蔵を見送って一ヶ月後に、私はお世話になった彩西医科大学の図書館を退職した。