契約結婚のはずが、極上弁護士に愛妻指名されました
 音川先生ったら…、と渚は思わず顔をしかめた。フレンドリーな性格の音川は事務所に入所してからずっと父のお気に入りで、母が亡くなる前はよく家に飲みにきた。千秋とはいまだ連絡を取り合う仲なのだ。
 だからってこんなスパイみたいなこと……。
 渚が事務所であまり感情を出さないようにしているのは、周りの人たちに気を遣ってのことだった。
 皆所長の娘となど仲良くしたくないだろう。音川と雑談する時なんかはついついそのペースが乱れてしまったりはするけれど、なるべく淡々と過ごすようにしてある。

「べつに仕事しに行ってるんだから、友達なんて必要ないし、愛想よくする必要なんてないよ」

 私はこのペースでまったく問題なく過ごせているのにと、渚はなんだかムカムカと腹が立ってくるのを感じていた。
 音川先生もお姉ちゃんもいつまでも私を子ども扱いして…。
 愛美たちだってべつにむやみやたらと突っかかってくるというわけではない。もちろん普段から優しくしてもらえるわけではないけれど、それ自体は渚自身は気にならないのだ。
 ただ瀬名が関わってくるとめんどくさいというだけで。
 だからこれからも今までと同じように、瀬名にさえ関わらないようにすれば、そんなに心配される話でもないのだ。

「……小麦粉、買ってこなきゃ。ちょっとスーパーに行ってくるね」

 早口に言って、渚は捌き終えたカサゴを冷蔵庫にしまう。バンッと乱暴に扉を閉めると、なんだか心がカサゴのようにトゲトゲとするのを感じていた。
 お父さんも、お姉ちゃんも結局は私を信用してないのよ。
 渚はなにかを言おうとする姉を無視して、そのままキッチンを出る。
 千秋が、カウンターに頬杖をついたまま、落胆したようにため息をついた。

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