辺境の貧乏伯爵に嫁ぐことになったので領地改革に励みます

飛行訓練

「そろそろ結婚式のことも考えなくちゃね」

 何度目かのセルジュの言葉に、アンジェリクは「やっぱり、しないとダメよね」と眉間に皺を寄せた。
 今後の領地運営について図書室でセルジュと話し合っていた。今は休憩してお茶を飲んでいる。

「結婚式、したくないの?」
「そうではないけど……」

 この場合の結婚式とは、いわゆる「貴族の結婚式」のことだ。
 盛大なパーティーとちょっとしたパレードを行うのがふつうで、周りの人たちに結婚したことを知らせるのが目的である。
 
 貴族の娘の多くは在学中に婚約を済ませ、学園を卒業するとすぐに結婚する。だから、夏から秋にかけてが結婚式のシーズンということになる。
 秋祭りも過ぎてしまった今、時期を逃してしまった感がはんぱなく、アンジェリクはすっかり億劫になっていた。

「ちゃんと、したほうがいいとは思うのよ。お父様も楽しみにしてらっしゃるし……。ただ、ああいう結婚式には、それなりの準備が必要でしょ?」

 今はまだ、考えることが多すぎて、どうしても気持ちがそっちに向かない。

 王の証文があり、指輪も交換しているので、セルジュとアンジェリクは正式な夫婦だ。
 結婚そのものは成立している。
 王都からは遠く離れてしまったし、今さら急いでも意味がないような気がした。 

 だいたい、今から準備したのでは、どんなに急いでも冬になってしまう。
 ブールの冬は寒いらしい……。

「いっそ、来年の春まで延期しない?」
「それはまた、だいぶ先だね。でも、きみのことだから、いっそなしにしましょうと言いだしても不思議じゃない。一応、しようという気持ちがあるのを聞いて安心した」
「しなくていいなら、なしでもいいのよ?」
「したくないなら無理にしなくても、僕は構わないけど……」

 セルジュが体面とか世間体とかを気にする人でなくてよかった、とつくづく思う。
 ただ……。

 アンジェリクは、美しい夫の顔をしげしげと見た。

「なしでもいいかなとは思うけど……、したくないってわけでもないの……」

 セルジュはいつものように優しく笑う。

「今は、領地のことで頭がいっぱいってことだね」
「そう」
「好きなようにしたらいい。甲斐性なしと笑われても、僕は痛くもかゆくもない。事実だしね」
「セルジュったら」
 
 本当の甲斐性なしなら、こんなふうに大らかに構えてはくれない。
 自分を大きく、立派に見せようとして、必死になって隠そうとする。見栄を張りたがる。

 エルンストのように……。
 心で呟いて、いけないいけないと首を振った。悪い例に、特定の誰かの名前を挙げるのは失礼だ。

「アンジェリク、少し時間があったら、たまにはサリとラッセを見に行かない?」
「行く」

 行きたいと思っていた。
 このところずっと、街道の整備と橋の建設の優先順位を考えているが、図書室にこもってばかりいるので少々息が詰まっていた。

 セルジュと連れ立って城を出ると、木枯らしの寒さに首を竦めた。
 十月ももう終わりだ。
 ブールは本格的に冬の寒さをまとい始めている。

 冬の降水量が少ないので大雪になることはないが、気温は低いので降る時には雪になると聞いた。
 大地も凍り始める。開墾団の人たちは、これからが大変だろう。できるだけ領地を回って、労をねぎらいたい。
 
 ドラゴンの厩舎に行くと、エリクとジャンが出迎えてくれた。
 サリとラッセの背に馬の鞍に似たものが取り付けられている。

「ちょうど飛行訓練に出るところです」
「サリたち、飛べるの?」
「もちろんですよ」

 ドラゴンにとって、飛ぶのは歩くのと同じくらい自然なことだ。移動するなら圧倒的に飛ぶほうが速い。
 そして、飛ぶことが好きだと、セルジュもジャンもエリクも、嬉々として説明する。

 みんなドラゴンが大好きなのだ。

「乗ってみるかい?」
「えっ?」
「サリなら、乗せてくれるよ。きみを友だちだと思ってるから」
「ラッセは? まだ私のことを好きじゃない?」

 いいや、と首を振ってセルジュは笑った。

「むしろ気に入ってる。だから、乗せられない」
「どうして?」
「サリがやきもちを妬く」

 え……? アンジェリクは目を見開く。

「僕も、妬く」
「もう、セルジュったら……」
「本気だよ」
「ドラゴンて、そんなに人と近い気持ちを持つものなの?」
「うん。賢いし、情に厚い。警戒心が強くてなかなか懐かないけど、一度信頼した相手を裏切ることはないよ」

 ジャンがサリの背に乗って厩舎を出てきた。
 馬よりもはるかに高い場所にある鞍を見上げて、アンジェリクの背筋は少し震えた。

(やっぱり、大きい)

 薔薇色の鱗が陽の光に輝く。

「サリ、行こう」

 ジャンの合図を受けて、サリが翼を広げた。次の瞬間には大きな身体がふわりと浮き上がり、あっという間に初冬の青い空に舞い上がる。

「すごい……!」

 鳥のように小さくなったサリは、しばらく高いところ旋回し、それからゆっくりと降りてきた。

「どうする? 乗ってみる?」

 セルジュに聞かれて、アンジェリクは慌てて首を振った。
 馬にも乗るのがやっとなのに、とても乗れる気がしない。あんな高さから落ちたら、落馬どころの騒ぎではない。
 死ぬ。
 絶対死ぬ。

「私を落として、サリが責められたら可哀そうだもの」
「サリは落としたりしないよ」
「私が勝手に落ちるかも」
「そう簡単には落ちないけどね」

 よく慣れたドラゴンほど安全な乗り物はないとセルジュは言ったが、アンジェリクは頑なに「今日はやめておくわ」と断った。

「いつでも乗りたくなったら言って」

 言われて曖昧に頷く。
 そんな日が来るだろうかと思いながら。
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