辺境の貧乏伯爵に嫁ぐことになったので領地改革に励みます
森
アンジェリクの懐妊がわかると、セルジュはセロー夫人のほかにもう一人侍女を探してきた。
ジャンの遠縁にあたるポリーヌという名の少女で、年は十六。早くに両親を亡くし、親戚の家を転々としていたそうだが、ひねくれたところは少しもなく、明るく優しい性格の、とてもいい子だった。
ジャンやエリク、ドニ、エミール、セロー夫人もそうだが、セルジュは人を探すのが上手い。
平民だったり地方貴族出身だったり、身分はさまざまだったが、みんな正直で働き者で気持ちのいい人ばかりだった。礼儀正しく言葉遣いが綺麗な点も共通している。
いつかセロー夫人に「言葉が綺麗ね」と言った時、アンジェリクのそばに置く者には、セルジュは特に気を配っているようだと教えてくれた。少し恥ずかしそうに、選んでもらえて光栄だと夫人は微笑んでいた。
領地の運営も、セルジュに任せておけば安心だった。
作物の選び方や開墾する土地の選定、街道や橋の整備とその順番など、セルジュはずっと、アンジェリクのやり方に興味を示し、自分でも学びながら、話し合い、考え、自分が領主であるという自覚をもって進めてきた。
今も何か迷うことがあればアンジェリクに相談に来るが、たいていのことは一人で片づけている。もともと頭がいいのか、判断は的確で、問題が起きてもサクッと解決してしまう。
アンジェリクが言うことは、もう何もなかった。
年が改まり、アンジェリクの身体が安定期に入ると、学校や病院をどうしたらいいかと相談に来た。
現状を視察してあり、各地に必要な設備や人材などもまとめてあった。アンジェリクは少し意見を言うだけでよかった。その意見を一緒に吟味すると、セルジュはすぐにそれぞれの土地に出向いて、任せられる人間を見つけて、いい意味で仕事を丸投げしてきた。
人を見抜いて任せ、問題が起きない限り自分は何もしないというスタイルは、上に立つ者の理想形だ。
セルジュの手腕に、アンジェリクはすっかり舌を巻いてしまった。
一月が終わる頃には、セルジュはすっかり暇になっていた。定期的に各地に視察に行く以外、やることがなくなったのである。
ある日、そわそわしながら、アンジェリクのところへやってきたセルジュは「森に行ってきてもいいかな」と遠慮がちに聞いた。
「森?」
「北の」
ドラゴンの森。
かつてセルジュがドラゴンを見たという。
「きみがお腹で赤ちゃんを育ててくれてるのに、僕だけ自分の好きなことをするのは、申し訳ないと思うんだけど……」
服の裾を引っ張り、ドギマギと、子どものようにアンジェリクの顔色をうかがうセルジュに、アンジェリクは思わず笑ってしまった。
「行ってくれば?」
「いいの?」
「ドラゴンの研究も、あなたの大事なお仕事でしょ? 領地のことは落ち着いているみたいだし、どうぞ行ってらして」
でも、赤ちゃんが……というセルジュに、また笑ってしまう。
「サリたちみたいに、交代で卵を温めているわけじゃないし。あなたがいてくれても、何も変わらないわよ」
「何もってことはないだろ」
「そばにいてほしい時はちゃんと言います。今は大丈夫だから、行ってきて」
セルジュはにこりと嬉しそうに笑った。
「ありがとう。愛しているよ、アンジェリク」
優しくキスをして、スキップでもしそうな足取りでやり手の領主となった夫は部屋を出ていった。
やり手になっても変わらない、どこか子どものような純真さが愛しかった。
あまりじっとしていても飽きるので、アンジェリクはたびたび、セロー夫人かポリーヌを伴って、ドラゴンの様子を見に行った。
サリが優しい表情で卵を抱くそばで、ラッセがサリに鼻を擦り付けているかと思えば、ラッセが卵を抱き、その横でサリが身体を伸ばして眠っていることもあった。
「ドラゴンて、大きいけど可愛いですね」
ポリーヌが目をきらきらさせて言う。
この子もドラゴンが好きらしい。
セロー夫人はまだ若干腰が引けているところがあるので、ドラゴン厩舎にはポリーヌを伴うことが増えた。
一月の終わりのある日、馬で北の森に出かけていたジャンが、慌てた様子で厩舎に駆け込んできた。サリが卵を抱いているのを見ると、ラッセに近づき「飛んでくれるか」と声をかける。
「何かあったの?」
まさかセルジュによくないことが。
駆け寄ったアンジェリクに、ジャンはらんらんと光る眼で「ドラゴンが」と言った。
「ドラゴンがいました。森に……。まだ、子どもで、怪我をしています」
セルジュに言われてラッセを連れにきたという。
「ラッセの背に乗せて、旦那様がここまで運んできます」
そう言うと、すでに立ち上がって待機しているラッセに、残っていたドラゴン使いたちの手を借りて素早く鞍を取り付けた。
梯子を使ってその背に飛び乗る。
アンジェリクとポリーヌが見守る中、ラッセに「行ってくれ」と一声かけて、ジャンは飛び立った。
青く輝くドラゴンの翼がみるみる小さくなる。それはやがて点になり、北の空に消えた。
ジャンの遠縁にあたるポリーヌという名の少女で、年は十六。早くに両親を亡くし、親戚の家を転々としていたそうだが、ひねくれたところは少しもなく、明るく優しい性格の、とてもいい子だった。
ジャンやエリク、ドニ、エミール、セロー夫人もそうだが、セルジュは人を探すのが上手い。
平民だったり地方貴族出身だったり、身分はさまざまだったが、みんな正直で働き者で気持ちのいい人ばかりだった。礼儀正しく言葉遣いが綺麗な点も共通している。
いつかセロー夫人に「言葉が綺麗ね」と言った時、アンジェリクのそばに置く者には、セルジュは特に気を配っているようだと教えてくれた。少し恥ずかしそうに、選んでもらえて光栄だと夫人は微笑んでいた。
領地の運営も、セルジュに任せておけば安心だった。
作物の選び方や開墾する土地の選定、街道や橋の整備とその順番など、セルジュはずっと、アンジェリクのやり方に興味を示し、自分でも学びながら、話し合い、考え、自分が領主であるという自覚をもって進めてきた。
今も何か迷うことがあればアンジェリクに相談に来るが、たいていのことは一人で片づけている。もともと頭がいいのか、判断は的確で、問題が起きてもサクッと解決してしまう。
アンジェリクが言うことは、もう何もなかった。
年が改まり、アンジェリクの身体が安定期に入ると、学校や病院をどうしたらいいかと相談に来た。
現状を視察してあり、各地に必要な設備や人材などもまとめてあった。アンジェリクは少し意見を言うだけでよかった。その意見を一緒に吟味すると、セルジュはすぐにそれぞれの土地に出向いて、任せられる人間を見つけて、いい意味で仕事を丸投げしてきた。
人を見抜いて任せ、問題が起きない限り自分は何もしないというスタイルは、上に立つ者の理想形だ。
セルジュの手腕に、アンジェリクはすっかり舌を巻いてしまった。
一月が終わる頃には、セルジュはすっかり暇になっていた。定期的に各地に視察に行く以外、やることがなくなったのである。
ある日、そわそわしながら、アンジェリクのところへやってきたセルジュは「森に行ってきてもいいかな」と遠慮がちに聞いた。
「森?」
「北の」
ドラゴンの森。
かつてセルジュがドラゴンを見たという。
「きみがお腹で赤ちゃんを育ててくれてるのに、僕だけ自分の好きなことをするのは、申し訳ないと思うんだけど……」
服の裾を引っ張り、ドギマギと、子どものようにアンジェリクの顔色をうかがうセルジュに、アンジェリクは思わず笑ってしまった。
「行ってくれば?」
「いいの?」
「ドラゴンの研究も、あなたの大事なお仕事でしょ? 領地のことは落ち着いているみたいだし、どうぞ行ってらして」
でも、赤ちゃんが……というセルジュに、また笑ってしまう。
「サリたちみたいに、交代で卵を温めているわけじゃないし。あなたがいてくれても、何も変わらないわよ」
「何もってことはないだろ」
「そばにいてほしい時はちゃんと言います。今は大丈夫だから、行ってきて」
セルジュはにこりと嬉しそうに笑った。
「ありがとう。愛しているよ、アンジェリク」
優しくキスをして、スキップでもしそうな足取りでやり手の領主となった夫は部屋を出ていった。
やり手になっても変わらない、どこか子どものような純真さが愛しかった。
あまりじっとしていても飽きるので、アンジェリクはたびたび、セロー夫人かポリーヌを伴って、ドラゴンの様子を見に行った。
サリが優しい表情で卵を抱くそばで、ラッセがサリに鼻を擦り付けているかと思えば、ラッセが卵を抱き、その横でサリが身体を伸ばして眠っていることもあった。
「ドラゴンて、大きいけど可愛いですね」
ポリーヌが目をきらきらさせて言う。
この子もドラゴンが好きらしい。
セロー夫人はまだ若干腰が引けているところがあるので、ドラゴン厩舎にはポリーヌを伴うことが増えた。
一月の終わりのある日、馬で北の森に出かけていたジャンが、慌てた様子で厩舎に駆け込んできた。サリが卵を抱いているのを見ると、ラッセに近づき「飛んでくれるか」と声をかける。
「何かあったの?」
まさかセルジュによくないことが。
駆け寄ったアンジェリクに、ジャンはらんらんと光る眼で「ドラゴンが」と言った。
「ドラゴンがいました。森に……。まだ、子どもで、怪我をしています」
セルジュに言われてラッセを連れにきたという。
「ラッセの背に乗せて、旦那様がここまで運んできます」
そう言うと、すでに立ち上がって待機しているラッセに、残っていたドラゴン使いたちの手を借りて素早く鞍を取り付けた。
梯子を使ってその背に飛び乗る。
アンジェリクとポリーヌが見守る中、ラッセに「行ってくれ」と一声かけて、ジャンは飛び立った。
青く輝くドラゴンの翼がみるみる小さくなる。それはやがて点になり、北の空に消えた。