辺境の貧乏伯爵に嫁ぐことになったので領地改革に励みます

新しいドラゴン

 ラッセに乗って帰還したセルジュは、サリよりもさらに二回りほど小さいドラゴンを支えていた。
 青い鱗に覆われたラッセの背中から小さいドラゴンを下ろすのを、厩舎に残っていたエリクと三人のドラゴン使いたちが手伝う。
 鱗の色が白に近い美しいドラゴンだが、ぐったりと首を垂れて弱々しく息をしている。

 ドラゴンは翼に傷を負っていた。
 まだ子どもだとジャンが言っていたとおり、身体が小さく全体的に線が細い。鱗も柔らかそうだった。

 どんな事情かはわからないが、飛べなくなったことで仲間から孤立してしまったようだとセルジュが言った。

 ドラゴンは通常、家族単位で行動し、子どもが巣立つと次の卵を産む。寿命は人間の倍以上、百五十年から二百年くらい生きることが確認されているが、成獣になるには二年ほどしかかからない。

 サリとラッセは子どもの時からセルジュが世話をし、一歳になったところでブールに連れてきた。
 成獣になって一年。卵を産むのも初めてだ。

 白いドラゴンはちょうど二匹を連れてきた時くらいの大きさで、生まれて一年目くらいだろうと推定できた。

 肉を与えてみるが食べようとしない。
 ドラゴンに与える肉は、老いた家畜や森で仕留めた獣の肉がほとんどで硬い上に匂いが強い。

 アンジェリクはドニに言って、人間用の柔らかい肉を持ってきてもらった。小さなドラゴンは少し口にしたものの、またぐったりと横たわった。

 馬で戻ってきたジャンたちが、途中の鉱山で採ってきた赤鉄鉱を差し出す。

「急いだので、とりあえずこれだけですが」
「ありがとう」
「アズール鉱山に行って水晶を採ってきますか?」
「頼む」

 セルジュは慎重にドラゴンを観察し、腰の宝剣からルビーを一つ取り外した。すでに一番大きなサファイアが金の飾りの中から消えていた。

「アンジェリク、すまないけど、飢饉の時には、きみの宝石を当てにしていいかな」
「もちろんよ。その子にあげるぶんも、足りなければ、私の指輪も髪飾りもブローチも、好きなだけ使って構わないわ」

 赤鉄鉱とルビーをのみ込んだドラゴンは薄く開いていた目を閉じた。
 呼吸が徐々に落ち着いてゆく。

「痛みは引いたようだな」

 心配そうに様子をうかがっていたサリが、ラッセに卵を託して近づいてくる。鼻の先を白いドラゴンに近づけて、グルルと喉を鳴らした。
 小さなドラゴンがグルルと答える。どこか安心したような気配が伝わってきた。

 それから三日三晩、セルジュたちは寒さの厳しい厩舎に泊まり込んで、ドラゴンの世話をした。
 ふだんはサリのほうが卵を抱く時間が長いのだが、サリはラッセに卵を任せて、小さいドラゴンに寄り添っていた。

 三日目の夜が明ける頃、小さなドラゴンは自分で立ち上がって水を飲んだ。
 サリたちに与えるために桶に入れた肉を、横から鼻を突っ込んで食べ始めた。サリとラッセは怒ることもなく、小さなドラゴンがガツガツ肉をのみ込むのを目を細めて見ていた。

「元気になったみたいだな」
「もう大丈夫そうですね」

 セルジュと八人のドラゴン使いたちはほっと胸を撫でおろし、その場に倒れ込んだ。
 風邪をひいてはいけないとエミールが一人一人たたき起こして、城に連れてきた。ドニが作ったスープを飲んで、領主も下働きも関係なく、広間の絨毯の上で爆睡していた。

 ドラゴンは女の子で、ブランカと名付けられた。
 一週間も経つ頃にはすっかり元気になり、ラッセとサリに懐いて、安心したように厩舎で暮らし始めた。

「卵が産まれたら、ドラゴンは五匹か。エスコラの研究所でも二十しかいないのに、すごいな」
「あの子たちのごはんのことも考えなくちゃね」
「そうだね。自由に飛ばせれば、自分でも捕ってくるけど、飼っている以上、僕たちが責任をもって食べ物を確保しないと」

 お金がかかるね、と少しすまなそうにセルジュが言う。

「今年はまだ、そんなにたくさんの麦は採れないけど、来年からは畑も増えていくし、税収も増えるわ。きっとなんとかなるわよ。それに、麦のことで、少し考えてることがあるの」
「麦のことで?」
「ええ。今年の秋に蒔く麦は、みんなが食べる分以外は、できるだけ小麦にしたいの」
「小麦に? それだと、穀物全体の収穫量は減るけど、いいの?」

 アンジェリクは頷いた。

「ここのパン、美味しいのよ」
「え? パン?」
「ええ。ドニの腕がいいのかと思ってたけど、うちにいた料理人だって腕はかなりよかったの」
「そうだろうね……。天下のモンタン公爵家の料理人が、ポンコツなはずがない」
「そうなの。でもね、ここのパンのほうが、美味しくて。お肉が食べられなかった時でも、そんなに不満はなかったのよ」

 セルジュが少し疑わしそうな顔をしたが、気にしないことにした。

「つまりね、ここの小麦は特産品になると思うの。たぶん、寒くて育つのに時間がかかるせいで、甘みが出るんだわ。美味しい小麦なら、上手に宣伝したら王都で人気が出ると思う。たぶん、倍くらいの値段で売れる」
「王都で……?」

 高く売りたいなら小麦しかない。
 王都ではパンと言ったら小麦で焼いた真っ白なパンなのだ。

「街道を整備してヴィニョアまで運べるようにしたら、ヴィニョアからはモンタン家の荷馬車が運んでくれる。その代金を払っても、十分な利益が出る。そのお金でほかの穀物を買ったほうが、結果的にたくさんの穀物が手に入ると思うの」

 だから、小麦を、と言ったアンジェリクをセルジュが抱きしめた。

「アンジェリク、きみは本当にすごい」
「そんなことないわ。頭で考えるだけなら簡単よ。実行するのが難しいんだから」

 それをセルジュならやってくれると信じられるのが嬉しい。

 二月の半ばをすぎると、日差しにはきらきらした春の気配が混じり始めた。
 アンジェリクのお腹はまだ全然膨らんでこないが、サリとラッセの卵は二ヶ月のうちに孵るだろう。
 そして、夏にはアンジェリクたちの赤ちゃんが……。

 領地の改革は順調に進んでいる。
 何もかもが理想的に思えた。

 とても、幸せだった。

 そんなある日、ヴィニョアのモンタン農場から早馬が駆けてきた。
 フクロウ便を届けに来たのだ。

 急を要する時にだけ使うフクロウ便。
 オウルが届けるのは緊急の知らせだ。
 
 アンジェリクは急いで手紙を開いた。

 さっと目を通し、その場に崩れ落ちそうになる。
 真っ青になって、すぐ近くんあったセルジュの腕にすがった。

「アンジェリク!」

 セルジュの腕の中で、アンジェリクは震えていた。
 額には脂汗が浮かぶ。

「お父様が……」  

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