辺境の貧乏伯爵に嫁ぐことになったので領地改革に励みます
真犯人
アギヨン牢獄は王都の外側にあった。
モンタン公爵の委任状を手に、セルジュとともに牢獄を訪れたアンジェリクは、窓のない石の建物を見て、少しだけぞっとした。
昼間なのに薄暗く、蝋燭の明かりが揺れる石の廊下を看守の案内で進んだ。
鉄格子の嵌った狭い牢に犯人の男はいた。
看守が下がると、格子から離れた壁ぎわに立ったアンジェリクはゆっくりと息を吐きだした。低い声で短く聞く。
「誰に頼まれたの」
男は不敵に笑った。
捕まった時は捕まった時、そんな投げやりな態度が伺えた。
刺した相手が死んでいれば死罪もありうるというのに、命乞いをする様子もない。肝の据わったことだ。
自分が死んでも金が入ればそれでいいと思っている。
ならば、この男をこの場で殺すと脅しても何も言うまい。依頼人が捕まって、男が本当に金を渡したい相手に残りの金が入らなくなるほうが困るのだ。
「セルジュ。この男の家族を連れてくるように、看守に言って」
男の顔から笑いが消えた。
セルジュは黙ってアンジェリクのそばを離れた。
「あなたが刺した相手が誰なのか、わかってるのかしら」
「知るかよ。貴族なんかみんな同じだ」
「モンタン公爵よ」
「え……」
男は立ち上がり、鉄格子に手をかけた。
「モンタン公爵……」
「聞いてなかったのね。いくらで頼まれたのか知らないけど、公爵の命を狙えば、あなたは死罪。しかも、相手はコルラード卿。それだけで済むとは思わないで」
アンジェリクの声は静かだったが、普段は温かく慈愛に満ちているヘーゼルブラウンの瞳は、永久凍土のように冷ややかだった。
「依頼人の名前を言っても言わなくても、モンタン家はあなたの一家を全員殺す」
「待ってくれ! 娘には何の罪も……」
「黙れ! 私のお父様に、どんな罪があった? 今ここに、おまえの娘が来る。私は、おまえの目の前で娘を殺す。嫌なら依頼人の名を言え!」
石の廊下にアンジェリクの声が響き渡った。
「言えば、娘の命だけは助ける」
「ほ、本当か……」
「約束するわ」
名前は偽名かもしれないと男は言った。
「変わった髪の色の若い女だ。黄色とも薄茶色ともつかない……」
「トウモロコシの穂みたいな?」
「そうだ。まさにそんな色だった」
アンジェリクの顔が憎悪に歪んだ。
セルジュと役人に連れられて、若い女と幼い娘が怯えた様子で牢の前まで歩いてきた。
娘の顔は蝋燭の灯の下でも明らかに青白く、身体は折れそうなほど細かった。
四歳くらいだろうか。
「せっかく呼んでもらったけど、もう用は済んだわ」
女と娘には視線を向けずに、アンジェリクは言った。
戸惑う表情の役人に、セルジュが「すまない」と一言告げる。
男の家族と役人を残し、アンジェリクはセルジュと並んで廊下を戻り始めた。
「真犯人が誰かわかったの?」
「ええ」
怒りがさらに増していた。
これまでにも、常識で考えれば許しがたいと思うことは何度もあった。
けれど、それは人として恥ずかしいこと、図々しいこと、迷惑なことであって、自分で気づいて改めればいいと思っていた。
許していたわけではない。アンジェリクがいちいち相手にする必要はないと思っただけだ。
今度のことは違う。
これは、明らかな犯罪だ。
それ以上に、アンジェリク自身が許せなかった。
あの男が死刑になる前にシャルロットと会わせて、裁判官の前で事実を確認すれば罪は暴けるかもしれない。
だが、シャルロットは言い逃れをするだろう。
それに、そんなことくらいでは、アンジェリクの気持ちは収まらない。
「セルジュ、あなたにお願いしたいことがあるの」
「なんでも言って」
「ブールのお城に戻って、私のクローゼットにしまってある手紙の束を取ってきてほしいの」
「手紙の束?」
「ええ。妹たちのものや、学園のお友だちからのものが、まとめて引き出しに入っているから、それを全部持ってきて」
フクロウ便を飛ばして、ジャンかエリクにドラゴンで届けてもらうのが一番速いが、大事な証拠なので無駄な責任を負わせたくなかった。
それよりセルジュに早馬でブールに行ってもらって、ラッセで戻ってらうほうがいい。
おそらく、三日、遅くても四日以内には戻れるはずだ。
「領主のあなたを、従僕みたいにお使い立てして悪いけど」
「きみにこき使われるのなんて、慣れっこだ」
「絶対になくさないでほしいの」
「心配しなくても、身体に巻き付けてでも、必ず運んでくるよ」
もちろん、信じている。
「待ってる間、きみは、少しのんびりしてて」
アンジェリクは微笑み、黙って頷いた。
だが、実際はそうもいかない。
セルジュが戻るまでに、アンジェリクにはやることが三つあ
モンタン公爵の委任状を手に、セルジュとともに牢獄を訪れたアンジェリクは、窓のない石の建物を見て、少しだけぞっとした。
昼間なのに薄暗く、蝋燭の明かりが揺れる石の廊下を看守の案内で進んだ。
鉄格子の嵌った狭い牢に犯人の男はいた。
看守が下がると、格子から離れた壁ぎわに立ったアンジェリクはゆっくりと息を吐きだした。低い声で短く聞く。
「誰に頼まれたの」
男は不敵に笑った。
捕まった時は捕まった時、そんな投げやりな態度が伺えた。
刺した相手が死んでいれば死罪もありうるというのに、命乞いをする様子もない。肝の据わったことだ。
自分が死んでも金が入ればそれでいいと思っている。
ならば、この男をこの場で殺すと脅しても何も言うまい。依頼人が捕まって、男が本当に金を渡したい相手に残りの金が入らなくなるほうが困るのだ。
「セルジュ。この男の家族を連れてくるように、看守に言って」
男の顔から笑いが消えた。
セルジュは黙ってアンジェリクのそばを離れた。
「あなたが刺した相手が誰なのか、わかってるのかしら」
「知るかよ。貴族なんかみんな同じだ」
「モンタン公爵よ」
「え……」
男は立ち上がり、鉄格子に手をかけた。
「モンタン公爵……」
「聞いてなかったのね。いくらで頼まれたのか知らないけど、公爵の命を狙えば、あなたは死罪。しかも、相手はコルラード卿。それだけで済むとは思わないで」
アンジェリクの声は静かだったが、普段は温かく慈愛に満ちているヘーゼルブラウンの瞳は、永久凍土のように冷ややかだった。
「依頼人の名前を言っても言わなくても、モンタン家はあなたの一家を全員殺す」
「待ってくれ! 娘には何の罪も……」
「黙れ! 私のお父様に、どんな罪があった? 今ここに、おまえの娘が来る。私は、おまえの目の前で娘を殺す。嫌なら依頼人の名を言え!」
石の廊下にアンジェリクの声が響き渡った。
「言えば、娘の命だけは助ける」
「ほ、本当か……」
「約束するわ」
名前は偽名かもしれないと男は言った。
「変わった髪の色の若い女だ。黄色とも薄茶色ともつかない……」
「トウモロコシの穂みたいな?」
「そうだ。まさにそんな色だった」
アンジェリクの顔が憎悪に歪んだ。
セルジュと役人に連れられて、若い女と幼い娘が怯えた様子で牢の前まで歩いてきた。
娘の顔は蝋燭の灯の下でも明らかに青白く、身体は折れそうなほど細かった。
四歳くらいだろうか。
「せっかく呼んでもらったけど、もう用は済んだわ」
女と娘には視線を向けずに、アンジェリクは言った。
戸惑う表情の役人に、セルジュが「すまない」と一言告げる。
男の家族と役人を残し、アンジェリクはセルジュと並んで廊下を戻り始めた。
「真犯人が誰かわかったの?」
「ええ」
怒りがさらに増していた。
これまでにも、常識で考えれば許しがたいと思うことは何度もあった。
けれど、それは人として恥ずかしいこと、図々しいこと、迷惑なことであって、自分で気づいて改めればいいと思っていた。
許していたわけではない。アンジェリクがいちいち相手にする必要はないと思っただけだ。
今度のことは違う。
これは、明らかな犯罪だ。
それ以上に、アンジェリク自身が許せなかった。
あの男が死刑になる前にシャルロットと会わせて、裁判官の前で事実を確認すれば罪は暴けるかもしれない。
だが、シャルロットは言い逃れをするだろう。
それに、そんなことくらいでは、アンジェリクの気持ちは収まらない。
「セルジュ、あなたにお願いしたいことがあるの」
「なんでも言って」
「ブールのお城に戻って、私のクローゼットにしまってある手紙の束を取ってきてほしいの」
「手紙の束?」
「ええ。妹たちのものや、学園のお友だちからのものが、まとめて引き出しに入っているから、それを全部持ってきて」
フクロウ便を飛ばして、ジャンかエリクにドラゴンで届けてもらうのが一番速いが、大事な証拠なので無駄な責任を負わせたくなかった。
それよりセルジュに早馬でブールに行ってもらって、ラッセで戻ってらうほうがいい。
おそらく、三日、遅くても四日以内には戻れるはずだ。
「領主のあなたを、従僕みたいにお使い立てして悪いけど」
「きみにこき使われるのなんて、慣れっこだ」
「絶対になくさないでほしいの」
「心配しなくても、身体に巻き付けてでも、必ず運んでくるよ」
もちろん、信じている。
「待ってる間、きみは、少しのんびりしてて」
アンジェリクは微笑み、黙って頷いた。
だが、実際はそうもいかない。
セルジュが戻るまでに、アンジェリクにはやることが三つあ