あなたしか知らない
♢9


⋯⋯
昔はたぶん普通に出来た、隠し子の心配するぐらいには。
3年前ぐらいから、早いんじゃないかって心配になった。
他の男がどうなのか知らないし、相手の女が何を思ったか、隠されたらわからない。
心の中でバカにしてても、オレのいないところで言いふらしていても、分からない。

早いのがばれて笑われてたら、と心配になった。
誤魔化してた、他のやり方で。

でもだんだん、挿入の時に出来ない気がして、だんだん勃たなくなっているのがわかった。
最後にした時は、もうギリギリだった。
バレたかもしれない。
とっくに笑われてるかもしれない。

見合いする一年前ぐらいからは、バレるのが怖くて、食事しても必死で誤魔化して逃げていた。

1人の時は勃つ、でも、早いな。
⋯⋯


「じゃ、なんでわざわざ⋯⋯ バレるのに結婚なんて」


「しないで済むとでも思ってるのか?
この家で? この立場で?
言い寄ってくるうるさい女に、いつかバレるかもしれないのに?

妻がいればおかしくない。
オレの家族も、会社の周りも、納得する。

こんなオレなのに、父と母はいい人たちなんだよ。
オレがちゃんと結婚して、後継が出来ると、ずっと信じてる。

代々絶やさずきた血筋なのに、ここで絶えてしまうなんて、思いもしないんだろうに。

だから、せめて、相手がそれを知らなければ、手付かずで置いておけばいいと思った。

弱みを利用して」


それから、真一はポケットに手を入れ、何か折りたたまれた紙をだした。
広げもせず、楓との間の机に置いた。

暗くて見えるはずもないのに。
几帳面なようで、クシャッとなっている紙。

楓は、真一らしい、と思った。

ふと笑ってしまうぐらいだった。
こんな告白の最中なのに。
衝撃のカミングアウトの時なのに。


自信と可愛らしいさ
不器用な優しさ

なんだかこんな可愛いい部分のあるひとが、なぜ頑なに家族になろうとしないのかと思った。
良い父親になるだろうし、優しい夫になれるだろうと思った。
彼の拒む、彼を待つ優しい家庭を作ることが出来る人なのに、なぜだろうと思っていた。

本当はそんな人なんだろう。

小学生の時の真一の姿が浮かぶような気がした。

賢くて優秀で優しくて自信のある長男。一人っ子、期待の跡取り、そしてまるごと次代に引き継ぐと、当然のように期待されてきたのだろう。


彼は折りたたまれたままの紙を広げた。
文字までは見えないし、見たくないような気がした。


「離婚届だ」


楓は暗くて見えない、そのクシャッとした薄い紙を見た。真一のポケットに入っていて、彼の手が広げた紙。
楓と真一を家族ではないと証明する紙。


「わかっただろう。子供もできない、君を満足させることもできない。
離婚したからと言って、会社の方には影響しないよ。
そのかわり言いふらさないでくれれば」


しかし、楓は笑ってしまった。
バカみたいなことを、真一が言うから。


「私の事、結構一緒に暮らしてきたのに、いまさら、そんな人間だと、思ってるんですか?
満足? 分かるはずもないのに」


真一は、じっとしている。


「誰と比べようもないから、分かるはずがない、あなたが与えてくれたものが、私の唯一で全てだわ、そんなことも分からないんですか? 」


真一が絞り出すような声で言った。


「で、だまして、子供もできない。他の男と結婚して、子供も出来て、幸せになれる、そんな君の人生なのに」
「それがなんだって言うの⁈ 」


と楓は強く言った。


「別に全く健康な人にだって、子供だけじゃない、どんな病気があるかもしれない、どんな事故にあうかもしれない、そんな覚悟もなく生きていると? 」


楓は真一の真横に行った。
動いていなかった体が急に動いて少し痛かった。
暗くてよく見えないのに、廊下の漏れる光に真一の口元とホクロが見えた。
仰向いたままの、彼の口元。
楓の肌を通ったそれは、今、楓の前にある。


「ちゃんと私を見て!
ちゃんと、あなたを見せて! 」


真一は、上を向いたまま、楓を見ずに言った。


「オレ1人なんだよ。
この代々続いてきた家の⋯⋯ 」


今まで、一人で、この問題に向き合い続けて、誰にも言えなかったのだ。
彼の痛みに楓の心も痛んだ。
この可愛い人の痛みに泣いてしまう。


「一人じゃない、私も、これからは私も共有者だわ」
「⋯⋯ 」
「悩みをわけて、取り組ませて⋯⋯ 家族になって」
「君が他の人を選べば、幸せがあるのに?
君の人生を奪ってしまうのに」
「あなたに何一つ奪われてないのに? 」


思わず笑ってしまう。


「私は、そう、何一つ奪われてないのに」


もらってしかないのに。


「早い? 
そんな事、分からない! 
出来ない? 
あの夜、出来たのか出来てないのかすら私にはわからないのに!
ただ、あなたが好きだと思った。
家族になりたいと思っている。
あの夜、私は満足して、満ち足りてた。
あなたがどうかは分からないけど、少なくとも私は。
早くてもなんでもいいのよ。
どうせ今後、知りようもないんだから。
何度でも言う。

あなたが与えてくれるものが唯一で私のすべてだわ」




< 9 / 10 >

この作品をシェア

pagetop