月夜の白牡丹
9.『沖田せい』

万延2年 2月



ぱんぱん!と何回か叩いてシワを伸ばしてから、慎重に洗濯物を物干しに干していく。
洗濯機や乾燥機が無いこの時代、洗濯は重労働だけど、それなりに楽しくやっている。


私がこの時代に来て、1ヶ月が経とうとしていた。

あの日――私がこの時代にタイムスリップしてきた日、私が奴隷商人か女郎屋から逃げてきた記憶喪失の女だと盛大な勘違い――じゃなくて、推理をした山南さんの話はどうやらこの時代では説得力のある内容だったようで。
とりあえず記憶が残るまで、日野にいなさい。記憶が戻っても日野にいたければずっといればいい、とノブさんや近藤さんが言ってくれて、申し訳ないやらありがたいやらでまた泣きそうになった。
ただ置いて貰うのは申し訳ないので、基本的には日野宿本陣のお手伝いやノブさんと歳三さんの兄である為次郎さんの身の回りのお世話や話し相手をしている。目の見えない為次郎さんは、その分感性が豊かなようで、知識も豊富でお話していてとても楽しい。
その他にも、試衛館のお手伝いをしたり、皆さんの稽古を見学することもあった。





『あっ!!』



『おっと…。ほらよ。』



『ありがとうございます。』



強風に煽られて飛んでいってしまった手ぬぐいを空中でキャッチして差し出してくれた歳さん――土方歳三さんにお礼を言うと、歳さんは爽やかな笑顔で笑って、縁側にごろりと横になった。

『お稽古サボって、お昼寝しに来たんですか?』




『サボってねぇよ。今は休憩なんだよ。だからお前が寂しがってないか見に来てやったんだ。』



『それはそれは。ありがとうございます。』


笑いながら返すと、歳さんに背を向けて洗濯物を干すのを再開する。




歳さん、というのは土方歳三ご本人から指定された呼び名だ。



最初は土方さんって呼んでいたのだが、為次郎さんも『土方』だし、なんで兄貴は名前で呼んで俺は土方さんなんだ、総司や山南さんと同じように歳さんとでも呼べばいい、とご本人に言われてしまったのだ。



現代にいる時は『歳三さん』って呼べていたのに、ご本人を前にすると土方さんって呼ぶのもおこがましくて、『土方副長』とでも呼びたかったんだけど、歳さんはまだ新選組でも浪士組でもないし、副長でもないからそうはいかない。
初めて歳さんって呼んだ時なんてそれはもう緊張して、『と、とと、歳、さん』なんて言ってしまって笑われたものだ。まだ慣れないけど、少しずつ呼べるようになってきてるし、最初ほどお話する時緊張しなくなっている。


『おせい。』



呼ばれて振り返ると、歳さんが寝転んだままこちらを見ていた。



『お前、なんか、思い出したか。自分のこと。』



『いいえ…』


おせい、というのはここでの私の名前だ。
私の名前――成実、は珍しい名前らしく、私が逃げてきた場所に『日野に成実という女がいる』とどこからか伝わってはいけない、もしかしたら源氏名だったのかもしれない、と山南さんが言い出し、近藤さんが成実の成からとって『せい』と名付けてくれたのだ。


そして、苗字を"覚えていない"私に、兄上――沖田総司は『僕の妹なんだから沖田を名乗ればいい。』と言ってくれて、私は『沖田せい』と名乗っている。


私が知る限り、沖田総司に妹はいないし、土方歳三と同時期に『せい』という女性が日野宿本陣や試衛館に出入りしていたという記録はない。




つまり私の存在は、無かったことになる、と考えるのが妥当だろう。
そのうち現代に帰る、ということだろうか。




またあの日常の中に戻るのか、と思うと少し、いや、かなり気が重くなった。




私がここにいることで歴史が狂ってしまうかもしれない。特に、新選組に関わる歴史が。




そう思うと、一刻も早く現代に戻る方法を探さねば、と思うのにそうはしたくないと思う自分がいることに、気づかない振りをして、洗濯物を干すことに専念した。
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