魔王様は聖女の異世界アロママッサージがお気に入り★
「ラディス! カヨさんが行ってしまう!」

 瘴気を浴びて狂暴化したであろう犬のような獣が、群れになって畑を襲い、人々が村の中に逃げ戻っている。

 人の波の中に、カヨの姿を見かけたレイラは、反射的にラディスの外套の中から飛び出した。

「待て!」 

 レイラとラディスの間に、畑から逃げてきた人が走り抜け、距離が開いていく。

 人々の向こうからは、舌をだらりと出した犬のような獣が数匹走ってきている。

 レイラが逡巡したのは一瞬のことだった。

 すぐに自分のすべきことを判断して、走り出す。

「獣を止めて! 私がカヨさんを捕まえる!」

「戻れっ、くそっ……邪魔だ」

 ラディスが飛びかかってきた犬を手で払う。

 その間にレイラは道の角を曲がり、建物の間の狭い通路に入った。

 レイラは瘴気によって狂暴化した獣たちを浄化することはできるが、襲ってきた獣をおとなしくすることも、倒すこともできない。

 戦闘において、レイラは完全に足手まといだった。

 それならば、カヨをレイラが捕まえている間に、ラディスが獣を倒してくれればいい。

 建物の間を全速力で走り抜けたレイラは、先ほど見かけた黒髪の女性の後ろ姿をとらえる。

「カヨさん!」

 最近、運動不足だったレイラは息が上がってしまい、ゼイゼイと肩を揺らしながら黒髪の女性を呼び止めた。

 薄暗く狭い通路で、女性は立ち止まり振り返った。

 長い黒髪に色っぽく理知的なまなざしの女性は、確かにレイラを西の森で助け、ラディスの書斎で写真に写っていた女性だった。

「あぁ……よかった。会えて、探してました。ラディスが話をしたいって」

 息が上がっていたので、とぎれとぎれに伝える。

「ラディスが?」

 カヨはどこかぼんやりとした顔で、つぶやいた。

 レイラから見ても、カヨは美しい女性だった。写真で見るよりもずっと。

 彼女をみて、ラディスは何を思うだろう。

 どんな会話をするのだろう。

 胸のあたりがぐっと締め付けられるような気がした。

 そんなことを考えている場合ではないというのに、頭の中に次々不安がわきあがる。

「多分、瘴気の穴のこととか、どうしてカヨさんが生き返ったのとか聞きたいのだと……」

 レイラは次第にうつむき、言葉は尻つぼみになってしまった。

「敬語はやめて。私は、あなたと話がしたかったわ」

「えっ? 私?」

 弾かれたように顔を上げると、目の前にカヨが来ていてレイラの手を取っていた。

 彼女の手は冷たく、手が触れた瞬間ぞっとするような不快な感覚に襲われる。

 レイラの感覚に反して、彼女の表情は優しい。

「あなたの癒しの力は強いのね」

 レイラは瞬きをしてから、うなずいた。

「一人で瘴気を浄化できるくらいには」

 カヨはフッと笑った。

「あら、聞いたのね。力のない聖女たちが魔女になった話を……」

「……あの、ごめんなさい。なんていったらいいか」

「謝らないでいいのよ。じゃあ、私がしたことはおせっかいだったのね」

「瘴気の穴をあけていたこと?」

 カヨはうなずく。

「そう。手助けをしてあげようと思って。浄化が早く終われば、すぐに帰れるじゃない」

「あ……それで」

 レイラは彼女が大地の浄化の手助けをしようとしてくれていたのだ。

 カヨは、少し困ったような微笑を浮かべる。

「私はもう手遅れだけど、あなたはまだ間に合うでしょ?」

 間に合うといわれて、思わず手を握る手に力が入る。

 カヨは召喚されてから500年以上がたっている。彼女の夫も子供も生きてはいないだろう。

 けれどもレイラは、生き別れになった妹や、母のように慕う社長の元に戻れると彼女は言ってくれているのだ。

「うん、……戻りたい……でも、戻る方法が、まだわからなくて」

 ラディスは元の世界に戻る方法を見つけてくれると言っていた。

 心当たりがあるようだったので、信じているのだが、何年かかるかははっきり言ってわからなかった。

「それなら、あなたの召喚主に頼めばいいわ」

「え? あの人、私のこと元の世界に戻せるの?」

「召喚は空間と空間をつなげる法術だもの。何とかなるはずよ」

「でも、私の頼みを聞いてくれるかどうか……」

 シスはレイラを召喚したとき、元の世界に戻すどころか、殺そうとした人物だ。

 レイラの頼みを聞いてくれるとは到底思えない。

「その心配はない。私がどうにかして元の世界に返してやる」

 レイラは唐突に後ろからぐっと、肩をつかまれて引き寄せられた。

 振り向くとラディスが追いつきレイラの真後ろにいた。

 怪我はないようだが、表情はいつになく厳しい。

「ラディス! 畑の方は?」

「問題ない。とにかく離れろ」

 そういって、引き離される。

 レイラが離したまりの手から、黒い霧のようなものが立ち上っている。

「カヨさん、それ……」

「あぁ、これ私の体、瘴気で動いているから」

「えっ!?」

 先ほどカヨの手に触れたときに、感じた不快な感情は、瘴気が原因だったのだ。

 ラディスのように瘴気を浴びて、体にまとわりついていると言ったものとは濃度が違う。

「私の未練に引き寄せられたのかしら? 500年かけて、瘴気が私の体に満ちて、気づいたら目覚めていたのよ」

 ラディスが老衰してなくなるカヨの最期をみとったというのは、本当だったのだろう。

「癒しの力は使えないけど、結構強い魔法使えるようになったから便利よ」

 便利って……そういう問題ではない。

「ねえ、ラディス。彼女を元の世界に戻すの?」

「……当然だ」

「ふうん、そんなにべったりマーキングしておいて?」

 レイラはぎょっとして、カヨとラディスの顔を交互に見た。

 そういえば、前に会ったときも、マーキングがどうのこうの言われたのだが、どういう意味だろう。ペットのマーキングの話だろうか? それとも首輪のような印の話?

 うんうん唸りながら首をかしげているレイラをみて、カヨは笑った。

「やだ、かわいい」

「……余計なことをいうな。他の魔族が近寄らないための措置だ」

「ふーん。でも前より増えてるわね。追跡魔法に防御魔法、隠蔽魔法に気配遮断。これは彼女の状態把握、感情察知……ストーカーね」

 カヨとラディスの視線が絡む。

「一度さらわれてるからだよね!」

 レイラは落ち着かない気持ちになって、2人を交互に見ていた。

「それなら、お願いしてもかまわないわね」

「お願い?」

 カヨは微笑み、レイラにうなずいた。

「大地の浄化はもうすぐ終わるでしょう? そのときに私も元の世界に連れ帰って欲しいの」

「えっ?」

「あぁ……心配しないで。この体はもう朽ちているから」

 カヨはあっけらかんと言う。

「えっ……?」

「私の中の瘴気をあなたが浄化して、もし……何か骨でも髪でも……服の切れ端でもいいの、何かが残ったら、それを元の世界に戻るときに持ち帰って」

「カヨさん……」

「500年もたっているから、私を待っている人も知り合いもいない。それでも子供と夫のいる日本に戻りたいの」

 ラディスの眷属になることを拒んだカヨの未練……どんなに時がたっても、愛する夫と子供がすでに死んでいるとわかっていても、元の世界に戻りたかったのだ。

「ね、お願い」

 レイラはラディスを見た。

「私からも……たのむ」

 ラディスは目をふせた。

 レイラが、ラディスの大切な人をもう一度消滅させるのだ。

 カヨがにこりと笑って手を差し出す。

「……わかった」

 レイラはうなずくと、彼女から立ち上る瘴気の霧ごと包み込むように、彼女を抱きしめた。
< 37 / 43 >

この作品をシェア

pagetop