生贄になる予定が魔界の王子に頭突きを食らわせてしまいました
……は?
…………は?
はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ?!!
長いのでヴェルと呼んでください。と言う自称王子の言葉を遮ってアリシアはベッドを飛び降りる。
――と、婚礼の儀から着たままだったドレスの裾に引っかかった。
「おっと危ない」
焦りもせずに長い足で素早く距離を詰めた自称王子が転びかけたアリシアをふんわりと受け止める。
「あ、ありがと。でも、あなたっ魔界って何を言ってっ」
「だからヴェルと呼んでいただきたいのに……。でもそうですね、外を見ていただいた方が早いと思うのでどうぞこちらに」
今度は転ばないように手を引かれながらバルコニーへと出るための窓に近づく。
「高いので気をつけてくださいね」
外へ足を踏み出したアリシアの髪が、ねっとりとした生温かい風に舞いあがった。
おかしい。
今は春先ではなかったのか? この空気はまるで夏の熱帯夜のようではないか。
それに轟々と下から吹き上げる風は一体どれほど低い場所から吹いているのか。
「建物ごと浮いてる?!」
「そうなんです。一応ここは王族が暮らす城なので空に浮いているんですよね。防犯上の理由で」
「防犯のために城が浮くの?! どうやって?!」
「簡単に言うと魔力で浮いています。物を浮かせるのが得意な種族が仕えてくれているので」
落ちてしまったら一瞬で体が粉々になりそうな光景に足が震える。
あとはあぁ、あれもここが魔界だとわかりやすいと思います。と指さされた先を見ると――
手を伸ばせばバルコニーから届きそうなほど近くに、あのアリシアを苦しめた青い月と、血のように赤い月が寄り添いながら輝いていた。
「ここが魔界だと信じていただけましたか?」
思わず勢いよく振り向くと予想以上に近くに立っていた自称王子……いや、不思議な力で城が浮き月が二つ有るということは間違いなくここはアリシアの世界ではなく、この部屋の主らしき彼もまた王子なのだろう。その王子の胸元にアリシアの鼻がぶつかった。
同じ年頃の巫女たちと同じくらいの身長だったアリシアに比べて彼は随分と背が高い。
「もしまだ信じられないようでしたら黒竜でも呼んでお見せしましょうか? それとも火を噴く巨大な人面花の方がお好みですか?」
「いえけっこうです……」
よろよろと今度は肩を支えられながら部屋に戻る。
「さて、ここが魔界だと信じていただけたところで貴女のお名前を教えてくださいますか?」
「アリシア・メルギスです……」
「アリシア……アリシア……うん。可愛い名前だ。改めて言いますがどうぞ僕のことはヴェルと呼んでください」
「ヴェルっあの、」
「なんでしょう?」
名前を呼ばれて嬉しそうに破顔するクライヴェルはまるで人間そのものでアリシアとどこも変わらないように見える。
神殿で教えられた魔族とは、醜い異形の姿と邪悪な心を持ち甘い言葉で人々を誘惑し堕落させる存在だった。
だがゆったりと足を組んで椅子に座るクライヴェルの姿は口元の傷さえなければ絵画のように美しい。
「私は何故、魔界にいるのかしらっ?」
「ああ、それは僕が貴女を迎えに行ったからですアリシア」
「迎え?」
「はい。神との婚礼の儀、とやらをやっていたでしょう? あれが始まったので迎えに行ったんです」
「婚礼の儀に現れた迎え……もしかしてあなたがあの闇に浮いてた白い手と青い眼の持ち主なの?!」
「ええ」
「じゃあ、じゃあ! あなたが神で何人もの花嫁の命を奪ってきたと言うの?!」
「いいえ?」
憤り立ち上がったアリシアを優しく椅子に座り直させながら、クライヴェルはユーンブルグと魔界との関係を語り始めた。
そうして知らされた真実の衝撃に、アリシアは崩れ落ちることとなる。