夕ご飯を一緒に 〜イケメン腹黒課長の策略〜
2.



 久保田圭。30歳。
 営業部営業2課、課長。
 身長178cm。細身で筋肉質。
 モデルか俳優かと言われる程のイケメンで、人当たりも良く、爽やか。
 仕事もできて、28歳という若さで課長に昇進。
 システム課から営業に異動して2年、という異例の速さだったという。
 昇進してからも、業績は右肩上がりで、その手腕は社内だけでなく社外でも評価されている。
 独身。恋人は無し。寄ってくる女性は数知れずだが、本人は誰とも付き合う気はないそうだ。
 数年前に失恋したらしく、その相手を未だに思っているらしい。相手については、本人が固く口を閉ざしている。

 ここに来て1週間、特になにもしなくても私の耳に入ってきた情報だ。
 女性社員達が、あちこちで噂している。彼の注目度は非常に高かった。

 業績が右肩上がりということは、それだけ仕事をしているということで、非常に忙しいらしい。
 目の保養だと喜んだのもつかの間、あれから久保田さんと会うことはなく、見かけることもなかった。



 この会社は、オフィスビルのフロアを4つ借りている。
 一番上は、社長室、役員室、会議室があって、上(うえ)フロアと呼ばれている。
 2番目と3番目は、中(なか)・下(した)フロアと呼ばれ、システム課は2チームずつ、それぞれのフロア分かれている。私は中フロアのチームだ。
 他の部署は、中・下フロアにそれぞれある。
 そして、下フロアの更に下に『別階』と呼ばれるところがあった。
 3年前に、業務拡張のために新たに借りたフロアで、部署も新設されたそうだ。
 それが、営業2課。久保田さんのいる部署。
 そしてシステム2課も新設され、そこに本田さんの旦那様である須藤さんがいる。

 フロアが違うとほとんど会う機会がない。チラッとも見ない。
 営業2課とシステム2課は、一緒に組んで仕事をすることが多く、他のチームとは接点もあまりない。
 まして、私は派遣社員。時間内に仕事を終わらせて帰るから、忙しい久保田さんと帰りが一緒になる機会もない。
 まさかわざわざ見に行く訳にもいかないし、見かけたらラッキーなんだろうな、と思うことにした。




 そんな日々の中、本田さんが産休入りの日を迎えた。
「なにかあったら、必ず誰かが助けてくれるから、周りを頼ってくださいね。遠慮したら駄目ですよ」
 という言葉を私に残して、ちょっと早めの時間に帰って行った。迎えに来た旦那様と一緒に。

 その後姿は幸せそのもの。
 本田さんを守るように見つめる須藤さん。
 それに笑顔を返す本田さん。
 周りに、ほわほわとやわらかいなにかが飛んでいるようだ。
 うらやましいな、と素直に思った。

「うらやましいですね。相変わらず仲が良くて」
 声をかけられて、振り向くと久保田さんがいた。
 1階のエントランスまで見送りに出ていた。
 本田さんとは2週間しか一緒にいなかったけど、もっと一緒に働きたかったという気持ちだったから。
 本田さん大好き中村さんも一緒だった。
「あんたいつの間に来たのよ」
 前に顔を合わせた時と同じ、久保田さんには歯に衣着せぬ口調だ。
「今です。挨拶しようと思ったら、もう行ったって言われて。間に合うかと思ったんですけど」
 久保田さんは苦笑いしている。
「うらやましくなんかないけど。強いて言えば、須藤のことは千波先輩と一緒に帰れてうらやましいけど」
「中村さんがそう言うのはわかってますよ。今のは小平さんに言ったんです」
「えっ、私?」
 久保田さんは、私を見て微笑んだ。
「同じような顔で見てる人、何人もいますから」
「あ、いや、あの」
 いきなり言われてあせってしまう。
 久保田さんは、そんな私を意に介さず微笑んでいる。
「有名ですからね、あの2人のほんわかぶりは」
「あんなに可愛くて優しい千波先輩の側にいるのに、ほんわかしないはずがないじゃない」
「相変わらずですね、中村さん」
「須藤は永遠に敵よ」
 中村さんは置いといて、という風に私に解説してくれる。
「あの2人を見て、うらやましく思う人はたくさんいるんですよ」
 私は頷いて返した。
「わかります。見てたら、幸せを分けてもらえるみたいですもんね」

 人を好きになって、その人から思いを返してもらって。また好きになって、相手もまた思いを返してくれる。

「あの間にお子さんが入ったら、ますます幸せなんだろうなあ」

 もう消えてしまった2人の間に小さな影を足して、幸せな一家を思い浮かべた。
 もうすぐ小さな影は2つになって、あのやわらかくて優しいほわほわは増えていくはずだ。



 自分もそうなるって、かつては信じてた。



「小平さん、大丈夫ですか?」
 ハッと気付くと、久保田さんが真顔で私を見ていた。
「えっ、あ、すみません。ぼーっとしちゃった」
 笑ってごまかす。
 久保田さんは、まだなにか言いたかったみたいだけど、私の様子を見てやめたようだ。
「そういえば小平さん、明日、こいつと外出でしたよね」
 中村さんが、親指で後ろにいる久保田さんを指す。
「はいそうです。さっき、やっと準備が終わったんですよ」
「明日持って行く資料ですか?」
 指された久保田さんは苦笑いしてるけど、その目は優しい。
「はい。本田さんにOKいただきました。すぐにお持ちしますね」
「いえ、一旦デスクに戻ってそちらに行きます」
「わかりました」

 明日は、久保田さんと客先に行くことになっている。
 その担当者は年配の女性。本田さんの大ファンで、お休みに入ることを凄く残念がっていたそうだ。
 そして、代わりの人にもお会いしたいと言われたので、私も行くことになったのだった。

 私じゃ駄目だって言われたらどうしよう、と尻込みしていたら、本田さんが笑顔で言ってくれた。
「大丈夫、小平さんならできます」
 本当は自分も一緒に行きたいんだけど、と謝ってもくれた。
 先方とのタイミングが合わずに休みに入る前には行けなくて。わざわざ出てくると言い出した本田さんを止めたのは私だ。
 もう少しで無事に出産を迎えられるのに、万が一なにかあったらと思うと、私の不安なんか大したことじゃない。
 そう言った私に、本田さんは極上の笑顔をくれた。
 女の私でも、惚れそうになるほど、可愛かった。



 私も、こんな風に笑えたら、この人のような幸せを手にできたんだろうか。



 いや、私は私。
 同じように笑えても、この人にはなれない。
 この人とは違う幸せが、私にはある。

 今だって、不幸じゃない。



 ミーティングテーブルで資料の用意をしていると、ブルッとスマホが震えた。
 カーディガンのポケットから出して見ると、メッセージが来ていた。

 ーーー帰った

 相変わらず素っ気ない。
 他に文字打てないのか、と突っ込みたくなる。

 ーーーおかえり

 ーーー今日は?

 『今日は?』なんなのよ。
 何が聞きたいのか、ちゃんと伝えてくれないとわからないって何度も言ってるのに。

 ーーー多分、定時

 ーーーわかった

 はい終了。
 わかってはいるけど、ついつぶやいてしまう。
「もう少しなんかあってもいいんじゃないかな」
「何がですか?」
「っ!」
 驚いて振り返ると、目を丸くした久保田さんがいた。
 デジャヴだ。この前と同じだ。
「……すみません、またびっくりさせちゃって」
 セリフまで似ている。
「あっ、いえ、こちらこそすみません」
 私も同じセリフを返してしまった。
 久保田さんが、一瞬間を置いて、プッと吹き出した。
 その後、下を向いて、声を出さずにくっくっくと笑っている。
 そんなにおかしかったかな。
「……すみません、なんだか……ツボに入ってしまって……」
 ツボ?そんなのあった?
 でも、久保田さんの爽やかじゃない笑顔を初めて見た。
 この顔も、いいなと思った。
 なんか、人間らしいって思った。

 久保田さんは、ひとしきり笑って、笑いながら渡した資料を確認して、笑いながら戻って行った。
 そんなに?っていうくらい、笑ってた。

 デスクに戻ると、不思議そうな顔をして首を傾げながら中村さんが後ろから来た。カフェオレを持っている。
「どうかしたんですか?」
「今、久保田とすれ違ったんですけど、なんか笑ってて」
「あー……」
 事情を手短に説明すると「へえ〜」と驚いていた。
「珍しいんですよ。あいつがあんな風に笑うなんて」
「そうなんですか?」
「いっつも能面みたいな爽やかスマイルを貼り付けてますからね。なかなかはがさないのに」
 能面って……本当、容赦ないなあ。
「あいつが笑うのなんて……」
 中村さんは、言いかけて止めた。
 なんだろう。
 聞こうとしたけれど、中村さんは「なんでもないです」とごまかしたように笑って、仕事に戻った。
 気にはなったけど、定時になったので帰り支度をする。
「すみません、お先に失礼します」
 チームの人達に声をかけて、帰宅した。


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