夕ご飯を一緒に 〜イケメン腹黒課長の策略〜



 話してもいいかな。
 ちょっとは良くなったみたいだけど、またにした方がいいかな。

 久保田さんの顔をちらちら見ていたら、微笑まれてしまった。
「あ、あの……」
 久保田さんは待っててくれてるのに、何から話したらいいのかわからなくなってしまう。
「お話、してもいいですか……?」
 背筋を伸ばすと、少し話しやすくなった。
「もし具合悪くなったり、聞くのがしんどかったらやめます。遠慮なく言ってください」
 久保田さんも、私につられて座り直す。
「……わかりました」
 緊張が走る。
 どうしよう。何から話そう。
 自分の手、膝、テーブルの角、カップ、いろんな物に視線を送る。全然落ち着かない。
「あの……」
 言葉が出てこない。
 でも、ちゃんと話さないと、太一のうどんが無駄になってしまう。
「私、大学に入ってこっちに出てきたんです。何もわからない田舎の子で、同じクラスの人に数合わせで連れて行かれた合コンで、太一の父親と会ったんです」

 思い出す。
 合コンで、周りに圧倒されて声も出なかった私に、話しかけてくれたのが彼だった。

「優しくされて、舞い上がって、すぐに付き合い出しました。でも、彼は私以外にもそういう人が何人もいて、それを知っても、それでもその時は信じてました。私をちゃんと選んでくれるって。でも、そんな時は来なくて……」

 言いなりだった。避妊して、も言えなかった。

「妊娠したってわかって、彼に言ったら、その日は用事があるから、次に会った時に話そうって。でも連絡は取れなくなって、直接会いに行ったら、今は忙しいから後にしてくれって言われて、それっきりでした。何回会いに行っても逃げられて。そしたら、彼を合コンに連れてきた人が見かねて教えてくれたんです。あいつはそういうヤツだよって。一言で言えば女たらしです。そして面倒になると逃げ出すヤツだって。目の前が真っ暗になるってよく言いますけど、本当になるって初めて知りました」

 妊娠したことも、誰にも言えなくて。
 泣くことすらできなかった。

「久保田さんが、私の人生に混ざりたいって言ってくれて、凄く嬉しかったです。でも、思ったんです。勘違いだって。家のこととかいろいろあったから、そう思っちゃったんだって。だって、久保田さんは、若くて綺麗で、子どももいない女性が周りにたくさんいて、そっちに行った方が、なんの問題もなく幸せになれる。今は、ちょっと勘違いしてるだけで、いずれ気が付いたら、きっと私達は足枷になる」
 久保田さんは、何かを言いたげに動いたけど、黙っててくれた。
「久保田さんはあったかかったです。抱きしめられた時も、手をつないでくれた時も、凄くあったかくて、幸せな気持ちになりました。でもそれを一度知って、その後手放さなきゃならなくなったらって思ったら……もう立ち直れない。太一がいても、無理かもしれない。また、目の前が真っ暗になるのかと思ったら、怖くて……」
 声が震えてる。自分でもわかった。
「それなら、無かったことにした方がいいって思ったんです。忘れようって。太一がいて、平和に暮らせて、今のままで、私は大丈夫だからって」
 目は伏せたまま。怖くて、久保田さんのことは見られない。
「でも、美里ちゃんが『それは絶対に違う』って。『あいつが勘違いするなんてあり得ない』って。引っ越しの話が出た時点で、もういろんな可能性を考えてるはずだって。『あいつの腹黒さをなめちゃいけない』って」
 久保田さんが苦笑しているのがわかる。
 ほめてるんだかけなしてるんだか。
 でも、説得力は抜群にあった。
「『歩実ちゃんの正直な気持ちを話すのが一番いい』って。『それであいつが受け入れられないって言うんなら、無かったことにすればいい』って」

 『あいつはともかく、歩実ちゃんはすっきり、次に進めるでしょ?』と美里ちゃんは言った。

「美里ちゃんが言ってくれたことを、ちゃんと考えました。久保田さんは、太一の父親とは違う人だってわかってます。そんな無責任な人じゃない。でも、やっぱり怖いです」
 両手を握りしめた。
「私も、久保田さんの人生に混ざりたい。毎日、一緒に夕ご飯を食べたい。太一が独り立ちした後、久保田さんが一緒にいてくれるなら、なんて幸せなんだろうって思いました。でも、昨日の夕ご飯の時に久保田さんがいなくて、淋しかった。それがずっと続くのかと思うと、やっぱり怖いんです」
 伏せた目は、閉じていた。
「そうしたら、動けなくなるから……」
 もう言葉が出てこなかった。
 身動き一つ取れなかった。

 長い間、そうしていたのかもしれない。
 一瞬だったのかもしれない。
 時間の感覚もわからなくなるほど、固まっていた。

 ポン、と、頭に何かがさわった。
 あったかい。

 恐る恐る目を開ける。

 久保田さんの笑顔があった。





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