花を愛でる。
突然下の名前で呼ばれた私は彼の言ったことに返す言葉もなかった。
確かに私は彼のことをセクハラで訴えたことは一度もない。何故なら私たちの関係は上司と部下ではなく、男女としての関係だからだ。
私の顔を覗き込む茶色の瞳が、思考も全て見透かしているかのように囚われそうになる。
「珈琲が冷めますが。あと仕事中に私情を挟むのはやめてください」
「今は休憩中だから。それに田崎さんからかうの楽しいし」
「私を娯楽にするのやめてもらえますか」
表情を変えずそう告げると、彼が眉を歪めて笑っている姿が見えた。
そこにはもう不機嫌な色はなかった。彼の笑みに波打つ感情を表に出ないようにと抑え込む。
男性社員と向き合っていた時と態度が全く違うので、同一人物なのかも信じがたい。
彼が珈琲を飲み切ったのを確認し、カップを下げようとした時だった。
「あ、そうだ。良かったら今晩食事でもどう?」
「それは……仕事ではないですよね」
「この誘い口で仕事はないでしょ」
「それならお断りします」
冷めた口調で断りを入れると社長は苦笑いを浮かべる。
「振られた。ただのデートの誘いなのに」
「……そのような理由であれば他の女性を誘ったらいいと思いますよ。社長であれば喜んでお受けする女性がほとんどかと」
「残念だな、俺は田崎さん以外自分から食事に誘うことはないよ」
「どの口が言ってるんですか。他の部署からも女性社員を弄ばないで下さいとの苦情が寄せられているんですが」
一応会社の代表である彼にそのような苦情が寄せられる事態、大変よろしくないと思われるのだが。
しかし私が秘書になる前から社内では流れていた噂であるので、今更どうしようにもない気もする。
「それは『遊ぶのは私だけにして』ってこと? 可愛いね」
「珈琲お下げしますね」
戯言をスルーし、この話題を早々と切り上げた。
折角仕事は出来るのに勿体ない人だと思う。女性に対する熱量をもう少し仕事に向けてくれたら見直してくれる人もいるだろうにと溜息を漏らした。