【しょくざい】第1話【最後の晩餐】
 
 ここは地獄。あるいは煉獄。ここにいる人間は生きてはいない。命のあるの者は1人もいない。娯楽のない虚無の世界。ここに堕ちた全ての人間は罪を償う為に集う。
 時間を知らせるチャイムが鳴り響く。甲高い音だ。とても耳障りである。罪人達は何も無い四角い部屋で一日が始まる。何も無い白い壁。6畳程度だと思われる間取り。家具はない白い布団があるだけ。広々とはしていないが息苦しいほど狭くもない。罪人たちがここからは出られるのは仕事の時だけだ。寝て起きて務めを行いここに戻る。現世でいう囚人のような生活だ。部屋は就寝する為の空間だ。それでも罪人達には充分な空間である。
 設楽和樹。享年35歳。長身で一見、爽やかな男だ。生前は実年齢より若く見られる事が多かった。彼もまた罪を償う為にこの地獄に呼ばれて来た人間だ。何も無い部屋で設楽は大きく背伸びをして深呼吸をひとつする。煙草の香りが懐かしく恋しい。
 設楽はここに来てもう三年ほどが経つ。長いようで短くも感じていた。生前設楽が想像していた地獄とはまるで違う物だった。彼は地獄というのは芥川龍之介の描いた血の池や針の山がある物だと思っていた。ボロボロの囚人が獄卒に追い掛けられ悲鳴を上げ逃げ惑うそんなおどろおどろしい物を想像していた。
 それがどうだ実際来てみたら針ひとつもないではないか悲鳴などは聞こえない。現実は静かで暖かい。とても心地よく過ごしやすい気候ですらある。勿論ここはここで大変な事もあるが時には幸福すら感じる日もある。この耳障りなチャイムで起きる寝起きはキツいが気持ちを落ち着かせて務めに向かう。
 設楽は慣れた手つきで身なりを整え部屋から出る。白くて長い廊下だ。何人か人がいるが誰も見向きもしない。ここでは特に愛想良くする必要もないからだ。今日も設楽の白髪混じりの髪も七三分けにきっちり整えられている。そこまでは部屋に備えられた水道を使えば出来る。だが黒染めまでは出来ない美容室に行きたいと設楽は願っていた。それでも肝心な服装は上着にはシミ一つない割烹着。服装は毎日洗濯してもらえるからだ。ズボンの上から黒い前掛けを結ぶ。締めつけと共に気合いが入る。準備万端だ。廊下を渡り勤め先に向かう。
 ここは地獄だ。罪人達には閻魔から与えられた務めがある。罪人はそれぞれ罪の次第で派遣先が別れる。設楽の地獄は料理だ。
 料理地獄とも命名しようか、それはその名の通りここは料理を作る地獄だ。まだ客のいない閑散とした店内。アンティークなカフェのような世界観。設楽は厨房に入る。1番早かったようだ。まだ誰もいない。真っ白い壁に並べられた椅子。カウンター席10席。テーブル席15席の飲食店。厨房には真っ白な食器が大量に並んでいる。そして店内にはオブジェに観葉植物が何本か置かれている。気持ちが安らぐ。ここは本当に地獄なのかと疑うくらい穏やかだ。外からの見た、見た目もこじんまりとしたレストランだ。なので当たり前のようにここに来る人間は皆驚く。設楽にとっては慣れた光景だが時に務めは忙しい事もある、だが設楽はやりがいすら感じていた。 
 設楽に与えられた地獄はここで料理を作りづけることだった。毎日毎日料理を作る。毎日毎日料理を作る。毎日毎日罪を償う。休みはあるが娯楽はない。映画は無いしドライブも出来ない。休日はつまらない。今では仕事の方が楽しいくらいだ。それに仕事にはだいぶ慣れてきた。地獄も板についてきたところだ。
 開店までまだ少し時間がある。客はまだ来ない。ここに来る客もまたクセがある。ただの死人ではない。ここに来る客は全て自ら命をたったものだ。彼等にとってはここは煉獄。己の命最後に見つめ直して罪人の料理を食べる時間。それは苦しく儚い。
 ただ設楽の想像通りの地獄もある鬼の存在だ。彼らは法である。脱走やルールを破った者に罪を与えるものだ。
 彼らは絵本に出てくるような真っ赤な巨漢ではない。恐ろしい赤い般若のような仮面は被っているもの設楽よりはすこし大きい人型だ。罰の時は非常に振る舞う文字通りの鬼だが普段はきさくで大人しい人だ。おそらく彼らも何か罪を犯した罪人なのだろう。
 鬼に聞くには地獄には色々な種類があるらしい。炎熱地獄。針地獄。無間地獄。ここは食地獄。そのままの意味で食を作り続ける地獄だ。正直料理好きにはアタリだろう。
 それに地獄と言っても休憩はある。体は生身のままだから疲れは伴うし痛みもある。寝る以外はすることは無いのだがそれぞれ罪人達は空き時間を工夫して案外楽しめんでいる。週ごと朝昼晩の3交代制。
 この地獄はいつまで続くのか分からない。それは知ることは出来ない。それぞれの罪の重さにより刑期は様々。無限に働くという恐怖は計り知れない。あまりの恐怖に気が触れた者を1度見た事があったがあれは尋常ではなかった。狂うとはまさにアレのこと指すのだろう。なので設楽は考え過ぎないようにしている。
 生身なので眠くはなるし腹も減らも減る痛みもある。だが死なない。死んでいるから。
 いっその事理性も奪ってくれれば良いのにと彼等は願う事もある。彼等は完全に神とやらに遊ばれているのだ。ただここに来る客に毎日料理を提供するだけ。辛い地獄だ。   
 鬼の話によるとここはまだましの地獄らしい。だが刑期は教えて貰えないしこの後自分達がどうなるのかも教えて貰えないない。確かに罪を犯したが人間界では償った筈だと思う。命を代価にした筈なのにと訴えても何も変わらない。なのでもう諦めた。時々頭がおかしくなりそうになるが神とやらはそれすら許すことはない。悔しいが設楽は考える事を辞めた。白い割烹着に着替えて今日の客を待つ。
「おはよう」
「おはようございます」
 設楽と同じ割烹着を来て気だるそうな挨拶をしてきたのはこの地獄で設楽の先輩の石田正人だ。石田の見た目はいかにも悪人顔で近くで見るとかなりの迫力がある。それに石田の犯した事件はテレビに何度も映っていた。毎日毎日ニュースに取り上げられていた。なかなか大きく取り扱われていたのでそれを設楽は覚えていた。ニュースを見るだけで気分が悪くなるような事件だ。設楽もそれを見ていたので最初は戸惑っていたが毎日接しているうちにもう慣れた。ここでは殺される事は無い。不思議な出会いもあるものだ。
「おはよう」
「おはよう」2人で同時に挨拶を返した。
「はやいな2人とも時間ギリギリまで休めばいいのに、あんまり頑張ると死ぬぞ」
 
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