世界でいちばん 不本意な「好き」
「ねえ、芸能界ってたのしい?」
きみが帰る場所。
「たのしいよ」
間髪入れずに肯定の言葉が返ってくる。
たのしんでるのは、詳しくはないけど、なんとなく伝わってる。
そうじゃなくて…と聞きかたを改めて考えていると、ふいに頭をぐりぐり撫でられた。
「大変そうってイメージしてんだろー?大変だよそりゃ。とくに大変だったのは復学するって公表してからだね。あることないことネットニュースにされるし、ファンの子は毎日事務所前で泣いてるし、住んでたところも割り出されて寮生活になったしね」
うわ…想像もできない。
自分の行動や生活、言動が、いろんな人を左右する。そんな立場、こわい。わたしにはできない。
「復学ももう少し前からしたいと思ってたんだけどなかなかタイミングとれなくて。まあ、そのおかげでアリスに出会えたからよかったんだけど」
「…ふみと、たくさんの人と出会ってるでしょう」
わたしとの出会いなんてたいしたことないんじゃないかな。
優しいこともできないし、自分のことばっかり。いやなことも言ったと思うし、かっこわるいところをたくさん見せてる気がする。
「なあアリス、なんで音楽室を選んだの?」
「えっ」
「嫌がってたのに」
改めて聞かれると、わからない。自然と思いついたからだ。
「わからないけど、来れたのは、ふたりならこわくないと思ったから……」
たぶん、わたし、
ふみとが弾くピアノが好きなんだと思う。
だから、ふみとにはこの場所が似合うと思って、
だから、思いついたんだと思う。
彼が静かに、こちらを捉えた。
そういえば、淡い瞳がきれいなんだと、あっこが言っていたことがあった気がする。
てきとうに流していた会話を思い出すくらい、見惚れた。
「俺ね、アリスのことが好きだよ」
ふいに言われたのは、前に言われたのと同じ言葉。
腕を引かれる。
近づいた彼は、いつもの分け目に沿って前髪を撫でて、露になったおでこにそっとくちびるを落とした。
はじめての距離におどろいて。
離れた彼がふわりと笑いかけてくるのが、心地よくて。
なにもかもわすれて、寄りかかって、沈んでいきたいような気持ちに駆られた。
ピアノ
神童
家族
音
なんのフィルターも介さずに
わたしを見て欲しい。
そのときは、一番好きだと言って欲しい。
そうすればわたしも、自分のこと、ピアニストのわたしじゃなくても、あいせるんじゃないかと
泣きたくなるような感情を、必死に、押し込んだ。
「わたしは、…すきじゃない」
意地を張って。
弱い自分に、何度も何度も、そんなことしちゃだめだと言い聞かせた。