世界でいちばん 不本意な「好き」





学園祭のトリを飾ったバンドメンバーたちは、後夜祭で姿が見えなくなるほどの生徒たちに囲まれていた。

それが本来のわたしたちの距離なんだと思った。


それを横目に校舎を出て、最寄り駅から電車に乗って、久しぶりに地元へ足を踏み入れた。

ピアノじゃない楽器にも触れてみたくなって通っていたことがある楽器屋さんを過ぎて右に曲がると実家がある。



その数軒先の青い屋根の家。

寧音の家の呼び鈴を鳴らすとすぐにドアはあけられた。



「……え、月ちゃん?」


中年の女性がおどろいた表情でこちらを見る。


「おばさん、久しぶり。寧音いますか?」

「上がって上がって!久しぶりねえ!」


寧音のお母さんは、どちらかといえば音彩先生に似ている。

明るくて優しくてのんびりとした笑顔。お父さんもそんな雰囲気の人で、きつめ美人の寧音はおばあちゃん似。


「おじゃまします」


中学生ぶりに顔を合わせたからか、元気だったか、と何度も聞かれた。



「…寧音、熱大丈夫なの?」


上の部屋からかすかに聴こえるピアノの音。


「どうだかねえ。熱なんて久しぶりだから…でも弾いてるほうが落ち着くんじゃないかしら」



寧音は自分のこと、音彩先生よりもへただと思っている。

1日でもピアノに触れないと初心者だった頃に戻るって前に言ってた。


それならわたしはもう生まれたての赤ん坊だ。


なのに寧音は、どうしてもおせっかいを焼きたがる。

しずかにドアを開けると、彼女はものすごい剣幕で鍵盤へ向かっていた。



楽曲はベートーヴェンの『歓喜の歌』

偶然か、わたしが最後に弾いた曲だった。


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