偽りの夫婦
店に着くと、人が多く外で何組か待っていた。

「多いね…。
どうする?紫龍」
「少し待ってみよう。陽愛が食べたいなら、食べさせたい」
「うん」
店前のベンチに並んで座った。手を繋いだまま。
その時、紫龍のスマホが震えた。

「ん?ちょっと待ってて」
「うん」
一度手を離す。

「吉野?何だ?
━━━あぁ、そうか。わかった」
「……紫龍?」
「ごめんね…陽愛。
急に仕事に行かないといけなくなったんだ」
「そっか…社長さんは大変だね!」
陽愛は、紫龍がヤクザの若頭だと知らない。
不動産会社社長だと思っている。
「まぁね。車に行こう。一旦陽愛をマンション前で降ろすから」
「え?一人で帰るよ?ちゃんとメール連絡するし、それにぷらぷらして━━━━」

「は?いいって言うと思ってんの?」
一気に紫龍の雰囲気が黒くなり、声のトーンが下がる。
「あ…ご、ごめんなさい」
「一人になんて…させる訳ないでしょ?
今日は人多いんだし。
仕事の時だけは許してるけど、基本的には一人で行動なんて許されないんだよ?
いい?
二度と…!そんなこと……言うなよ……」
紫龍の目が黒く光った気がした。

「うん…」
「はい!じゃあ、行くよ?車」
「うん」

紫龍の黒い雰囲気、低い声のトーン、オッドアイの瞳。でもこの時は両目とも真っ黒く見える。
全てが、催眠術のように陽愛の心に浸透する。

そうなると、陽愛は何も言えなくなる。
何も考えられなくなる。

普通に考えれば、かなり酷い束縛と支配。
でもそれを、受け入れてしまう力のようなものが、紫龍にはあるのだ。

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