戀を手向ける


手を添える。触れられない。だけどきっと藤宮守寿は、ちゃんと手を繋いだ記憶をたどってるであろう柔い表情を浮かべている。

嫌だって断っても無理に結んできた手。何度かしたはずのその行為より、この間の冷えた硬い手のことしか、思い出せなかった。



本校舎の1階から渡り廊下を通ると、体育館かプレハブ教室のどちらかへ別れる。プレハブ教室には図書室と使われていない軽音部の部室があって、そのオリエル窓がサボり場だった。

静かなその空間は気に入っていたのに、あれから何度かおせっかいで口煩い風紀委員に眠りの邪魔をされ、そろそろちがう場所を探そうとしていた頃、彼女は突然ピアノを弾いた。


古いそれは埃が被っていたのに、そんな音出せるんだ。そう思ったけど彼女は「調律されてないなあ」とぼやいた。


「つーか、起こしにきたんじゃねえのかよ」

「え、起こしにきたんだよ」

「じゃあなんで子守唄?」

「…直矢くんに弾いてあげたい曲って思ったら、これだった」


なんだそれ。こいつのなかの俺のイメージって寝てるやつってだけかよ。だいたい弾いてほしいなんて頼んでないし。


「ピアノ弾けるんだ」

「小さい頃に少し習ってただけなの。むずかしい曲は弾けないよ」


ひとつ聞くと、彼女はうれしそうにふたつやみっつ言葉を返してくる。多い時はすげーめんどくさい。たぶんこの世で一番めんどくさい女。

それでも聞いてしまうのは、いつも楽しそうだからだ。

なにが楽しいのかさっぱりわからないけど。


「藤宮守寿、ピアノ好きなのになんでやめたの」


聞いたが最後。

質問されたことがよっぽどうれしかったのか、ぱあっと明るくなった表情に嫌な予感しかしない。

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