もふもふ後宮幼女は冷徹帝の溺愛から逃げられない ~転生公主の崖っぷち救済絵巻~
「いち、に、さん……じゅう。本当だ! 十本ある!」

 愛紗(あいしゃ)は感嘆の声を上げた。想像していた反応と違う。

「なぜ驚かない?」
「驚いているよ。九尾(きゅうび)の狐は何人か会ったことあるけど、十尾は初めてだもん」
「十本もあるんだぞ? 奇妙だとは思わないのか?」
「九本も十本も変わらないでしょ? 私なんて尾は一本しかないよ」

 愛紗は自身の尾を見せる。黒くひょろ長い尾が左右に揺れた。猫族(まおぞく)ではごくごく普通の尾だ。

「え? 一本多いからこんなところに隠れているの?」
「隠れているわけじゃない。封印されたんだ」
「うっそ。一本多いだけで?」
「ああ、その一本が重要なんだ」
「ふぅん。でも、ここにずっといたら暇でしょ? そろそろ出たら?」
「だから……。好きで入っているわけじゃなくて……」

 十然(じゅうぜん)と愛紗の話はいつまで経ってもかみ合わない。好きで何もない洞窟に何万年もいてたまるかと悪態をつく。

「出たくないの?」
「いや、出たくないわけじゃない。が、出ても居場所がないならここが一番気楽だろ?」
「えー。あ! 私の家の近くにさ、空き家があるよ。そこで暮したら?」
「は? 猫族の家に? 馬鹿か?」
「大丈夫、大丈夫。誰も気にしないって」
「気にしないのはおまえだけだと思うがな」

 いつの間にか愛紗は、格子に背を預け、くつろぐ体制になっていた。ここが怖くはないのだろうか。疑問に思うだけ無駄だ。彼女はさきほどからずっと笑っているではないか。

「この封印は破れない。出ることはできないさ」

 封印された当初、何度もこれを破ろうとした。まだ、あのときは反抗する気概があったのだ。

「えー。術なんて何もかかってないよ。危ないから、ちょっと離れていてよ」

 愛紗は大きな声で笑うと、立ち上がった。

 格子の前で手を交差させ、まぶたを落とす。彼女の髪がふわりと舞い上がり、踊り出す。彼女の中の霊力が活発に動き出している証拠だ。

 兄弟たちがそのようにして術を使うのを見たことがある。

 だが、無駄だ。見よう見まねで万年かけて練った術ですら跳ね返した狐族の王――父特製の封印だ。

「破ッ!」

 愛紗が大きな声を上げた。その瞬間に格子は霧のように霧散する。

「は……?」
「ほら、術なんて何もかかってないでしょ」
「いや、だってもう万年。いや……。そうか、父はもう――」

 鳥が噂していた。青丘(せいきゅう)の王が代替わりしたと。青丘の王とはつまり父親だ。この格子はもう数千年前に封印は解けていたのだ。

「ははっ……」
「なにかおかしいことあった?」
「おかしいことだらけだ。自由になった途端、どうしていいかわからん」

 どのくらいこの洞窟で暮してきたかわからない。話し相手は一方的に噂話を投げかけてくるような鳥ばかりで、まともな会話は愛紗が初めてだ。

 狐族(こぞく)の村に戻ったところで、尾が十本ある奇妙な狐を誰が迎え入れる? 皆、気味悪がり、また洞窟に封印しようと考えるだろう。

「だから、うちの隣が空いてるって」
「……本気で言ってるのか?」
「言ってる言ってる。話し相手がほしかったんだ。友達になろうよ。猫族は狐族ほど豊かではないけど、洞窟よりは快適だとおもうよー?」

 返事をする前に、愛紗が十然の手を握る。彼女が本気で言っていることはわかった。猫族は青丘に数多いる種族の中でも比較的のんびりしているとは聞いたことがあったが、ここまで警戒心がないとは思わなかった。

 十然は考えを巡らせる。誇り高き弧族は十然のような欠陥を決して許さないだろう。猫族がかくまったと噂が立てば、猫族はたちまち矢面に立たされる。

「いや、誘いはありがたいが俺はここで暮す」
「えー! ここって、何もないよ?」
「ああ、だからここを快適に住めるように手伝ってくれないか? 友達(・・)ならそれくらいお安いご用だろう?」
「んー……。まあ、ここなら遊びに来れないこともないし、いっか。じゃあさ、手伝う代わりに、嫌なことがあったらかくまってよ」
「それくらいなら好きなだけいるといいさ」
「じゃ、決まり。早速色々手に入れよう!」

 愛紗は握った手を離さない。なんと温かいことか。人のぬくもりを知らない十然には熱すぎるくらいだった。




 十然の洞窟は愛紗の手によって劇的に変化した。快適な寝台と調理道具、洞窟を灯す蝋燭や着替え。ありとあらゆる物を手に入れてくる。

 そして、数日が経ち、十然は愛紗が猫族の首領の一人娘だということを知った。

「なるほど。天帝のお気に入りはおまえか」
「お気に入りなんてほどのことじゃないよ。ただ、陛下の娘さんと仲がいいだけ」
「だけって話じゃないと思うが。まあ、おまえの感覚じゃそうなるか」

 人の懐にするりと入るのがうまい女なのだ。人とのあいだに境界線を引かない。だから、つい許してしまう。

「猫族の首領の娘に『おまえ』は失礼だな」
「そうだよ。首領の娘とかは関係ないけど、私には愛紗って名前があるんだからさ」
「んー。今日から『おまえ』はやめて『姫さん』と呼んでやるよ」

 十然にとって最大の譲歩だ。名など呼べるわけがない。そんなことをすれば錯覚する。愛紗と近しい関係だと。

 親の愛も友情も知らずに育った。決して愛を勘違いしてはならない。彼女の情は友情であって、愛情ではないからだ。

「えー。姫さんって柄じゃないよ?」
「なら、姫さんっぽくなれよ。な」

 十然はにかりと笑う。




「またニヤニヤしてる。今日の十然は気持ち悪い。そろそろ歩いてよ」

 幼子の愛紗が十然の腕の中で顔をあげる。大きな瞳はもの申したそうにしていた。つい、昔のことを思い出すことに集中し、歩みを止めていたようだ。

「あー。すまんすまん。姫さんが婚約破棄されたかわいそうなときのことを思い出していてな」
「もうっ! その話はなし」

 愛紗には婚約者がいた。天帝の弟――輝旭(ききょく)。なかなか妃(きさき)を持たず暮していたが、愛紗を気に入った天帝が無理に婚約を推し進めたのは有名な話だった。

 しかし、愛紗が五千歳になるころ、その輝旭が突如姿を消したのだ。

「いや~。誰にでも愛される姫さんが、唯一愛してくれなかった男だもんな」
「うるさい。もう、忘れたもん」

 愛紗は頬を膨らませて抗議する。輝旭を見た者はおらず、「婚約をいやがったために姿を消した」と噂されている。愛紗は輝旭の母親から頭を下げられ、婚約破棄に応じた。

 どこに消えたかわからない輝旭に向けて大々的に発表したが、三千年のあいだ彼が顔を出すことはない。

「折角の玉の輿だろ? 本当は未練の欠片くらいあったんじゃないのか?」
「会ったことなかったし、あたしは気にしてないよ。そのおかげで大仙(たいせん)試験を受ける気になったわけだし」

 愛紗は歯を見せて笑った。楽観的というべきか。

「ま、その試験も落第しそうなわけだがな」
「それは言わないで」

 彼女は頭を抱えて小さく丸まる。十然はカカカと笑った。小さな友人の望みをどうにか叶えてあげたい。

 ――さて、どうすべきか。

 風が吹く。まだ、動くときではない。そう、感じた。


幕間そのいち おしまい
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