十六夜月と美しい青色
 普段、物静かな雰囲気の凌駕が、覚悟を決めたような顔で話し始めた。

 「この度の縁談、どうか無かったことにしていただきたいのです。私は、結花さん以外の女性と結婚することになり、こうしてお詫びに上がりました。勿論、慰謝料はそちらの仰るようにお支払い致します。勝手な事だと充分承知しておりますが、どうか、ご了承いただけないでしょうか。誠に申し訳ありません。」

 そう、凌駕さんが頭を下げると、おじさんもおばさんも畳に頭を擦りつけるほど頭を下げ、謝罪の言葉を口にした。
 
 我が家に来た時からのただならぬ気配からして、何か大事な話があるのだろうということは薄々感じていた。
 予想だにしていない突然の申し出とその理由に、結花の表情が強張った。
 動揺する娘を、妻が抱き寄せたのを見ると、結花の父は凌駕に問いただした。
 
 「いったいどういうことかな?凌駕君。結花からは、そんな話は何も聞いていないが。」
  
 その言葉を受け、彼が顔を上げると、彼を射抜くような父の視線に怖じ気づきながらも話し始めた。

 事の始まりは、凌駕が3ヶ月ほど前に、東京へ大学の同窓会に参加するために1泊2日で出掛けた事だった。

 結花も、凌駕から同窓会の招待状の返事を投函してと頼まれていたから、同窓会の事は知っていた。その同窓会で、学生時代から仲の良かった友人たちと2次会まで参加した。久しぶりに同級生との再会に羽目を外し、数人の友人たちと前後不覚になるまで飲んだらしく、その中に居た学生時代に付き合っていた女性と宿泊先のホテルで朝を迎えた。

 前々から、その女性からは好意を寄せられていたが、何度も断り、来春には結婚する事も説明していた。勿論、招待客には入れるつもりは無かったことも。しかし、その女性からつい先日連絡があり、妊娠の事実と今後の判断を迫られていた。

 そして、凌駕は彼女を選んだ。

 いままで二人の時間を過ごすとき、他の女性の影など微塵も垣間見えることはなかったのに、お酒の上での事であっても合意の上での行為だろうと思う。

 自分たちの付き合いは、簡単に他人に隙を与えてしまう様な関係ではないと信じていたのに、何が凌駕を元カノに向かわせてしまったのか。自分だけを見ていてくれていたと信じていた結花には、凌駕の紡ぐ言葉の一つ一つが、二人で大事にしてきたと思っていた思い出をひとつずつ貫いていき、心が砕けていくような感覚が結花を襲った。

 
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