悪女だと宮廷を追放された聖女様 ~悪女が妹だと気づいてももう遅い。公爵と幸せな日々を過ごします~

 アルト領の診療所は病人や怪我人で溢れていた。ベッドに寝かされた人たちは、痛みに唸り声をあげている。

「ここが領地で唯一の診療所だ。薬師の数が少なくて手が回らなくてな。猫の手でも借りたいくらいさ」
「私は猫ではありませんよ。なにせ聖女ですからね。獅子のような働きをしてみせます」
「聖女か……ということは、君が尻軽で有名な――」
「あれは違います。私は浮気なんてしていません」
「だろうな」
「え?」
「少し話しただけでも、君の人間性は理解したつもりだ。男遊びをするような悪女じゃない」
「公爵様……」
「アルトでいい。その代わり、私も君の事はクラリスと呼ぶ。それでいいな?」
「ふふふ、ではアルト様とお呼びしますね」
「様を付けなくても。アルトでいいんだぞ」
「腐っても私も生まれは貴族の令嬢ですからね。殿方を名前で呼ぶのは憚られます」
「そうか。まぁ、クラリスが納得しているならいいさ」
「それよりも早速、治療を始めましょう」

 苦しんでいる病人を救うのが先決だと、苦悶の声をあげる怪我人に回復魔法を使用する。怪我で足が動かなくなっていた男は、先ほどまでの苦痛が嘘だったかのように、自分の足で立ち上がる。

 他にも打つ手がないと診断された人の病を癒したり、利き手を失い絶望する怪我人の腕を元通りにしたりと、八面六臂の活躍をみせる。

「聖女というのは凄いものだな。なくなった腕まで生やせるとは思わなかったぞ」
「私の力は歴代でも最高クラスだそうですから。おかげでたくさんの人を救えるので、才能に感謝ですね」
「……なぁ、私にも手伝えることはないか?」
「でもアルト様は公爵ですよ」
「だからこそだ。怪我をしているのは私の領民だからな」
「ふふふ、アルト様は優しい人ですね」
「むぅ、私のことを馬鹿にしているのか?」
「まさか。むしろ逆ですよ。領民のためとはいえ、治療の手伝いができる主君は多くありませんから」

 それこそ昔のハラルド王子くらいのものだ。それ以外の領主は汚らしいと診療所に近づこうとさえしなかった。

「ではアルト様は病人の身体を拭いてあげてください」
「任せておけ」

 クラリスが治療し、アルトが看病をする。二人の協力のおかげで、診療所の人たちは元気を取り戻していく。

「クラリス、次はこの人だ」
「腕が曲がっていますね……ただ折れているわけでもなさそうです」

 老婆が不安げに曲がった腕をクラリスに差し出す。その腕はまるで最初からそうであるかのように変形していた。

「聖女様、この腕は治りますか?」
「治してみせます。ただ症状が……」

 回復魔法は怪我や病気を修復する力だ。曲がっているのが元の形なら、それを治療することはできない。

「いつからこの症状が?」
「三日ほど前から」
「後天的なものですか……いったい、何が原因で……」
「呪いだ」

 クラリスの疑問に答えるように、アルトが口を挟む。

「呪いですか?」
「魔物が集まる地域では稀に起こる現象だ。殺された同胞の無念を晴らすために、正体不明の身体の異変を引き起こすのだそうだ」

 知能の高い鳥が殺されると、仲間たちへ復讐を乞うように、魔物もまた冒険者たちに討伐された結果、種族としての怨念が降り注ぐ。

 その恨みには一貫性がなく、冒険者個人に降り注ぐこともあれば、人間という種族が対象に選ばれることもある。

 事実、この老婆も魔物に恨まれる心当たりはなかった。巻き添えのような形での呪いは、あまりに理不尽である。

「呪いに私の魔法が通じるか分かりませんが、何事も挑戦です」

 老婆の腕にクラリスの回復魔法を発動する。すると曲がっていた腕が正しい形へと修復され、腕に感じていた苦痛も消え去る。

「ありがとうございます、聖女様!」
「いえいえ、当然のことをしたまでです」
「それと公爵様もありがとうございます」
「私は何もしてないぞ」
「それでもお礼を伝えたいのです。あなたは私の呪いの回復を祈ってくれた。弱っている心を癒せたのは、あなたがいてくれたおかげです」
「そ、そうか……私は役に立てたのか」

 迫害を受けてきたアルト公爵にとって、他人から感謝される経験は新鮮だった。耳まで顔を赤く染めながら、頬を掻く。

「人助けも悪くないものだな」
「ふふふ、そうでしょうとも。なにせ私の生き甲斐ですからね」

 アルト公爵は外見で忌避されているものの、中身は愛すべき人物だった。

「さぁ、次の患者を治療しましょう」
「サポートなら私に任せておけ」
「頼もしいですね」

 二人は診療所で治療を続ける。アルト公爵の口元には、自然に笑みが浮かんでいた。その笑みに釣られるように、クラリスも笑う。

「……兄上から聞いていた印象とは大違いだな」
「ハラルド様は私の事を何と?」
「根暗で男には媚を売る希代の悪女だと。人を見る目がない兄だからな。馬鹿な男だよ」
「……あの人のことを悪く言うのはやめてください」
「婚約破棄されたんだろ?」
「でも心根は善い人なのです……っ……私は捨てられてしまいましたが、それでもあの人の事が……ぐすっ……」

 涙が不意に溢れ出す。あれほど恋焦がれた人を婚約破棄されたからとすぐに諦めきれるはずもない。アルト公爵は気まずそうに頬を掻くと、慰めるように自分の外套をクラリスの肩にかけた。

「女の扱いに慣れていなくてな。慰め方がこれで正しいかも分からん。もし私の外套が穢らわしいと思うなら捨ててくれて構わない」
「いえ、お心遣いありがとうございます……あなたは優しいのですね」
「私は別に優しくなどない。近くで女に泣かれるのが嫌なだけだ」
「それを優しいというのですよ」

 アルト公爵と話していると、優しかった頃の王子を思い出す。彼もまた寒い夜の日は外套を貸してくれたものだ。

「まだ兄上のことが好きなんだな?」
「私は……その……」
「婚約者だからと誤魔化さなくてもいい。本当のことを話してくれ」
「……はい……私はまだ王子の事が好きです」
「なら応援してやる」
「応援?」
「いつか兄上が迎えに来るまで、私が形だけの婚約者になってやる。公爵家の婚約者なら王族と会う機会も多いからな。兄上を振り向かせて……そして誰よりも幸せになってくれ」

 醜い顔の公爵は声を震わせる。クラリスはその言葉に応えるようにギュッと彼の手を握りしめるのだった。

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