花筏に沈む恋とぬいぐるみ



 one sinの仕事も少しずつだが慣れ始めていた。
 お客さんの中には乙瀬という名前だけで、嫌な顔をする人もいた。そういう時、花はその場を離れる事にした。悔しい気持ちもある。けれど、そこで戦ってもだめだと思った。少しずつ店で働き続けて、時間をかけて信頼されるしかないのだ。きっと、そんな姿を見て、店にいるのが当たり前の存在になった時、花から声を掛けていけばいい。

 無理せずに、ゆっくりと。

 そう思えたのは、きっと帰れる場所があるから。
 何かあっても、私には助けてくれる場所がある。そして、守りたい場所がある。
 だから、頑張れているのだ。


 「あ、そういえば、また雅さんからの手紙発見したよ」
 「今度はどこにあったんだ」
 「紅茶の葉っぱがなくなったからストックを出そうとしたら、缶の裏に貼ってあったの。「そろそろ紅茶ゼリー食べたいよね」だって」
 「何枚あるんだか……」
 「今回のは18って書いてあった。凛さん、この間159を発見したから、200ぐらいかな?」
 「いつの間にそんな仕掛けを作ったんだか」


 雅からの手紙。

 それは、店内や部屋、キッチンや脱衣所など、雅の家のいたるところに、メモ紙で書かれた雅のメッセージが置いてあったのだ。
 始めは冷蔵庫の中のプリンが入っていたタッパーについていた。その後も、店の顧客ファイルの間や、掃除道具の中、時計の裏など、いろいろな場所から雅のメッセージが出てきた。1つ1つのメッセージはとても短い。「今日はラーメン食べたいな」「もう電池なくなったの?」「ピンクの布の在庫なくなりそうだよー」など、本当に他愛がない手紙。けれど、それが花や凛にとって楽しい時間になっていた。
 今でも雅がこの店にいて、不意に話しかけてくれているようで、懐かしくも嬉しくなる。そのメッセージを読む時は彼の声、口調で再生されている。
 メッセージには番号もふってあり、200近くもあるようだった。見つけた手紙は、ノートに順番に貼ってある。いつ、どこに貼ってあったのかもメモをしている。それを凛はよく眺めているのを花は知っている。その時の彼の表情はとても幸せそうだった。



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