花筏に沈む恋とぬいぐるみ
1話「沈むぬいぐるみ」
   



   1話「沈むぬいぐるみ」





 冬が長い街にも桜の季節がやってきた。
 朝も早くなり、鳥たちのさえずりで起きるようになり、寒さを感じて頭まで布団をかぶる事もない。街を歩く女性たちもパステルカラーの色鮮やかな服を着こなす人も多い。花の模様やピンクや水色、うぐいす色にラベンダー色。まるで妖精のようにかろやかに歩く。そんな人たちを見ると、「みんな幸せそうだな」と勝手に想像してしまうものだ。
 特に気持ちがギスギスしている時は。


 「えっと、ここら辺だと思うんだけどな」


 春になっても陽が沈み始める夕方は肌寒くなる。
 花は、灰色のニットのロングカーディガンに片手を入れて、寒さで体を震わせながら逆の手でスマホに映し出された画面を見る。長い黒い髪をなびかせる風は冷たい。少し薄暗くなってきたので、自然に画面の光も強くなる。花は地図を見ながら目的地へと向かってうろうろと歩いていた。

 栄えている街から数駅離れたこの土地は、駅前の商店街を抜けると住宅街になっていた。
 訪れた事のない街を歩くと、花はいつも不思議な気持ちになる。自分の知らない場所で、知らない人が沢山住んでいる。そこにはあたりまえに暮らす人々がいるはずなのに、自分には知らない世界。旅行でしか他の土地や国に足を運んだことのない花にとって、知らない場所で知らない生活をしている人が沢山いる。それが、不思議で仕方がなかった。そして、その知らない土地に自分から飛び込もうとする人々は、みんな物語の中の勇者に見えた。
 きっと、自分は勇者が旅する途中に訪れる町の1人の住民で、勇者と話す事もなく、自分の当たり前の生活を守り続ける事に必死なただの1人なのだ。
 
 平凡が1番幸せ。
 今まで生きて来て、花が学んだ教訓だった。



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